こんばんわ、トーコです。
今日は、山本周五郎の『季節のない街』です。
■あらすじ
風の吹き溜まりのような場所にある貧民街。そんな風景があったのかと驚きつつも、たくましく生きる住人たちの姿を描いています。
街の人々の生きる様子を、人間らしく描いている作品です。
■作品を読んで
どうやらちゃんとこの作品は復刊されていました。そういえば山本周五郎作品が復刻した記憶がありますね。この作品独特の魅力がありますから。
それでは、いってみましょう。
この作品は、都会の片隅のまだまだ貧しい街の住人たちを描いています。「三丁目の夕日(映画です)」感覚で読み始めると結構裏切られます。
当たり前ですが、人間は良い面と悪い面両方あります。貧しいとそれが如実にでます。トーコの中では「三丁目の夕日」が美化しすぎているような気がして見れないんですよ…。(ただの偏見)
この「街」の特徴は、住民たちが極めて貧しく、9割以上の人間が職を持たず、乞食だけでなくあまつさえは賭博者や犯罪人などかなりヤバい人のいる街として、どぶ川の向こう側の街の人間たちからは忌み嫌われている街です。
別世界というか、あんたたちなんぞ存在しない呼ばわりされている街です。すごい設定…。
最初の登場人物は、六ちゃんという男の子で、架空の電車を運転している子が登場します。当然ですが、親と半助と半助の猫とら以外は不審に思います。
しかもすごいことは、知的障害者というわけではなく、ただただ電車が好きだという設定。
そんな電車好きの少年が架空の電車を操っている1日を描いたもの。何がすごいって、それが日常なせいか、遊んでいる子供も、内職をする老人たちにも見えてないことでしょうか。
こんな変わったことをする人みるでしょ、一瞬でもと思いますが、ナレーションがこういいます。
かれらには六ちゃんが見えないのだ。ちょうどどぶ川の東側の人たちにとって、ここの住民たちが別世界のもの、現実には存在しないもの、という考えかたと同じ意味が、ここの人たちの場合にもあてはまるのだろう。
—これはしいてなにかを暗示しようとするのではなく、われわれが日常つねに経験していることである。雑踏する街上において、劇場、映画館、諸会社の事務室において、人は自分とのかかわりをもったとき初めて、その相手の存在を認めるのであって、それ以外のときはそこにどれほど多数の人間がいようともお互いが別世界のものであり、現実には存在しないのと同然なのである。
これは、出版された昭和37年頃から全く変わっていないようにも思います。
むしろ現代の方が、より顕著な気がします。スマホと対峙していて、周りを見れていない人沢山いるのではないでしょうか。
季節の変化や日の長短だけではなく、目の前の人の無関心等。今でも日常にあります。
違いは、世の中が余りにも変わり過ぎており、この作品に描かれているような貧しい世界のことが想像しにくいことでしょうか。わからないと思います。
それでも、本質的には現代に通ずることを述べています。
人は自分とのかかわりを持って初めて相手の存在を認めるというのは、まさにその通りです。
前回紹介した、朝井リョウの「正欲 」には相手の多様性を認めるきっかけが描かれていますが、きっと本質的には自分とのかかわりを持たないといけないことなのでしょうね。
個人的には、「倹約について」という作品が好きです。
この作品は、塩山家の様子を描いています。夫は郵便局に勤めて、妻のおるいさん、3人の娘で暮らしています。
この一家はおるいさんを中心に、勤勉、倹約、質素、温順、清潔といった善良な市民のような生活をしています。この街の人にしては珍しいです。
しかも、おるいさんの物持ちが良いことは近所の奥様方にも有名なことでした。
さらに、それに対して言ってくる奥さんの扱いも見事で、近所の人気もかっさらっていました。
おるいさんが袷を勝手に着ているのを見た奥様方が陰口を言ってた時のこと。長屋に住んでいると奥様方の噂話が勝手に広がります。
いつの時代も変わらないなあ、と思ってしまいます。暇なんだろうな、ここの奥様方…。
しかし、おるいさんはうまいこと陰口を見つけては見事に撃退していました。
そして、おるいさんは徹底した倹約家でもありました。ですが、貧しい人たちが最初に倹約するのは、食費です。
高校を卒業して就職した長女も、就職して働きに出ているのに、夕食の後さらに内職しています。トーコが会社員の傍らでコンビニ店員をしているようなものです。
当然ですが、長女はあっという間に結核になります。当時結核というのは高価な薬で治す病気でもありました。両親はいかにお金を使わずに病気を治すことを考えましたが、そんな努力もむなしく亡くなります。
それから3年の間に、娘全員とおるいさんが亡くなります。旦那さんはこういいます。「いのちを倹約したんだな」と。
そこまでして倹約はいかんなあと思うのでした。
あとがきは、開高健です。まあ、渋いところをいきましたね。友人としての立場もありながら、冷静な評論者としての眼も忘れていないなあ、と思います。
山本周五郎の別の作品で『青べか物語』という作品がありますが、そっちは漁師町の人間模様をとらえています。
もし、興味がある方はこの連作のような作品を読んでみることをおススメします。ちなみに、『青べか物語』はちゃんと刊行されています。
■最後に
都市の片隅の貧しい地域に住む人々の暮らしや人間模様を描いています。意外とこっちのほうが人間らしいです。
なかなか人間の本質を鋭く突いています。貧しさって、これ以上失うものがないから人間の本性や狡さがむき出しだったりするんですね。
今読んでも色あせない作品です。