こんにちは、トーコです。
今日は、須賀敦子の『主よ一羽の鳩のために』という詩集です。
■あらすじ
著者の死後発見された詩作の原稿。これがもとにこの作品は構成されています。
著者がローマ留学中の1959年の1月から12月に作った作品が収録されています。
■作品を読んで
たまたまこの1年分しか原稿が残っていなかったのでしょう。1年ピッタリってすごい偶然にしてはできすぎている気がする…。
著者にとっての1959年とは、30歳となり、絶賛ローマに留学中で、ロンドンに遊学したりととにかく盛沢山の年でもありました。
ちなみにその次の年にミラノへ行き、コルシア・ディ・セルヴィ書店で働くようになり、夫となるペッピーノと出会います。
他の本をよく読むとわかるのですが、(トーコの場合はこちらを読んで何となく理解107.「須賀敦子の方へ」著:松山巌)この方はキリスト教というものを学ぶために留学をします。
イタリアという土地がよっぽど気に入ったのか、肌に合ったのか、奨学金を獲得してローマで留学している中で書いた詩集。
なんというか、この作品に収められている詩はキリスト教の影響は受けていますが、押しつけがましいものではなく、著者のありのままを普通に描いています。
それだけ、信仰というものが日常的で特別なものではないことがよくわかります。
例えばですが、ずばりタイトル。「主よ…」と呼び掛けていることがまず最大のわかりやすいポイントでしょうか。
また、1年分しか見つかっていないにも関わらず、なかなか季節感のある詩もあったりします。ちゃんと時期と季語らしき言葉があっている詩も見受けられます。
全体的にはすごくみずみずしく、のびのびとしてて、純粋さとあどけなさがあります。30歳の人が書いたというにはちょっと若いかな、なんぞ勝手に思っていたりします。
これだけの詩を書けたのは、きっとこの時期が充実していたことと、まだペッピーノに出会っていなかったことが大きいのでは、と解説では語られています。
たった1年分の原稿しか発見されず、しかも著者本人が生きている間は誰にも見せることはなかったとのこと。
正直驚きでしたが、コルシア書店にはたくさんの文学的才能を持った人物たちが出入りしていました。
それを目の当たりにした著者はきっと見せることができなかったということと、詩を書くよりペッピーノとの手紙に時間を割いたのではないかと推測していますが、憶測は憶測です。
トーコ的にはきっと思い出したように詩作をしていたんじゃないかなと思います。
1959年の1年分まではいかないにしても、半年に1本くらいはありそうな気がします。いろいろ考えている人だから。
それにしても、この人、字がうまい…。万年筆で書いているのでしょうか、筆っぽいけど、ここまでうまく操れるというのもすごい。
■最後に
生前に発表されることのなかった詩作たちですが、まっすぐでみずみずしく、あどけなさのある詩です。
内容は多岐にわたっていますが、作者にとっても充実した時期であることを示しています。
信仰の道を示しているかのような作品です。
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