こんばんわ、トーコです。
今日は、ルシア・ベルリンの『すべての月、すべての年』です。
■あらすじ
あなたは、以前出版された『掃除婦のための手引書』という短編集をご存知でしょうか。発売されてからかなり話題になった作品でもあります。
実は、前回訳された『掃除のための手引書』は原作の作品数からみて半分だけでした。今回は、その残りの作品たちが翻訳されます。
さて、どんな話が詰まっているのでしょうか。
■作品を読んで
まずは、前作の紹介です。260.『掃除婦のための手引書』
そして、訳者の岸本さんの作品紹介です。240.『変愛小説集』、303.『死ぬまでに行きたい海』
どちらも訳者の個性が光り過ぎていて面白いです。240は小説のセレクト集で、303はエッセイです。
もともと、『掃除婦のための手引書』の原書には43篇の作品がありました。今作は、「前作『掃除婦のための手引書』で収録できなかった19篇を何とか収録しました。
訳者曰く、アルバムでいうところの捨て曲なしの短編集なので、作品の取捨選択には迷わなかったそうです。それくらい捨てがない短編集。
その待望の第2弾かつ完結編です。よかったすね、前作が売れて…。おそらく、売れなかったらこの本は出てこなかった…。
さてさて、前置きが長くなったので、作品紹介に移りましょう。
ルシア・ベルリンの特徴は、訳者のコメントの完全引用ですが、
情景を最短距離で刻みつける筆致、ときに大胆に跳躍する比喩、歌いうねるリズム、ぴしゃりと断ち切るような結句。ルシア・ベルリンという作家の魅力は今回も隅々まであふれている。何度も読んでいるにもかかわらず、一篇読むたびに本を置いて小さくうなり、深呼吸せずにいられない。このように書く作家はほかにはいないと、何度でも思う。
これに尽きると思います。ルシア・ベルリンの魅力を余すところなくすべてを伝えています。
以上です、と言いたいのですが、これではこのブログ記事が成り立ちません。
ここからは、トーコのいろいろな感想をいつも通り述べていきます。
まず思ったことは、この短編を書いたころ、あるいは過ぎ去った日々を思い出している部分はあるのでしょうが、なんとなくこの短編の元ネタは自分の人生で起こった出来事なのでは、と思うことが多いです。
たとえば、病院の事務、アルコール依存症になりかなり危険な状態になったころのこと、それを脱出できて良かったと回想している短編もあります。
と思えば、前作『掃除婦のための手引書』でも登場した若干おなじみの人物たちが登場したり、別な短編の登場人物が再び出てきたりと、底本が一緒なのでつながりが見えてくる部分もあります。
冒頭の作品は、望まぬ妊娠をし中絶のためにメキシコに行くも、結局は子供を産むことにし中絶手術を受けずに帰ります。
結局子供を産むことにしたときの心境をこう描いています。
堕ろしたくない。堕ろす必要なんてない。この部屋の女たちがここに来たいきさつを想像すると、どれも悲惨で過酷で受け入れがたいものばかりだった。レイプ、近親相姦、その他いろんなひどいできごと。でもわたしはこの子を育てられる。きっとみんなで家族になれる。この子と、ベンと、わたしと三人。本物の家族に。狂っているかもしれない。でも、すくなくとも自分でそう決めるのだ。
病院には、何らかの理由があって中絶をしなければならない女たちが集まっています。
トーコとしては中絶現場なんてあまり遭遇したくないのですが、その状況がひしひしとリアル感とともに描かれています。
そんな様子を見て、なぜだか自分はちゃんと愛されていて、ちゃんと子供を育てられると思っています。
同時にサリーという少女を押さえつけて、と医者から言われ抑えますが、その日の夜に大量の出血とともに倒れ、次の日には姿を消していました。
なんとなくですが、中絶手術を受けないという決意は正しかったように見えてきます。不思議です。
のっけからこんな話で始まります。ほんと、中絶手術絶対に受けたくない。いやだわ、こんな思いしたくない。
他にも、病院の受付で働いていたころを題材にした作品がちらほらあります。ですが、切り口を見事に変えているか、同じものを題材にしたとはとても思えないくらい、こう描くか!と思わせます。
「緊急救命室ノート、一九七七年」とい作品の冒頭はずいぶん引き込まれます。
緊急救命室の中ではサイレンは聞こえない。ウェブスター通りに入ったところでスイッチを切るからだ。
緊急救命室の中が結構別世界なことがわかります。ちょっと冒頭でこの描写を読むとビビったり、なんで、と思うのですが。
かと思えば、手紙で幼馴染なのでしょうか、ひたすらコンチに近況を送付している作品もあります。
コンチヘ送るせいか、非常に簡潔にまとめられており、差し出す側の人間の気持ちや動きが非常にわかりやすいです。
恋をして、あまり周りが見えなくなると思ったら、真逆を行きます。むしろ、観察眼が芽生えている。
しかしまあ、男女交際に関してはかなり厳しい家なのか、世の中の風潮なのでしょうか、最終的に差出人は学校を辞めることになりますが。
さらに、薬漬けの男との間に子供を身ごもった女が、男から薬を買いに行くことを強要されます。自宅に戻った後、女は破水し、出産かと思ったら、早産で赤ちゃんは死にます。病院からご主人に電話しましょうか、と言ってもかたくなにいないと言います。
言ったら最後、男は検挙されるでしょう。牢屋行きでしょうね。この期に及んでも男を守るんだ…、と読んでいるこっちはあきれ返りますが、男と縁を切るのがとんでもなく大変なのでしょう。
現代だったら、女もすぐに保護されるでしょうね。
「ミヒート」という作品では、語り手の視点がかなり自由に動き回っています。というか、おそらく2人の女の視点で語られています。
1人は若くして子供を産んだ新米の母親、もう1人は病院の人間ですね。
これもかなり衝撃的ですが、新米の母親が産んだヘススという男の子は、泣き止ませようとして揺さぶり、そのはずみで首の骨を折られて亡くなります。
アルコール依存症か脱出した後の話も書かれていました。個人的には、この話結構好きです。まあ、回想ですからね。
ストーリー的には、まだ共感できる部分があるからとっつきやすいのかもしれませんね。
でも、アル中の様子を描いている描写はちょっとくすっと笑えます。アル中じゃないので、笑えるのかも。当事者はおそらく笑えない…。
数えるほどしかない酒屋はどれも街のはずれにあるから、もし貧乏でふるえのきているアル中で、しかも雪が降っていたりしようのものなら、万事休すだ。その酒屋というのがまたターゲット並みにだだっ広くて、悪い夢を見ているようだ。ジム・ビームの棚にたどり着く前に譫妄で死にかねない。
当事者から抜けられたからこそ描ける描写な気がします。このころ住んでいた街がかなり健全だったようで、アル中から脱出して本当に良かったと主人公は言いますが、これは著者の本音もあると思います。
ストーリーは内容様々で、激動の人生だったんだなと思いますが、描写に関してはなかなか鋭いものがあります。
■最後に
『掃除婦のための手引書』からの続編にして、これでやっと底本を訳し切りました。
前作よりも、よりルシア・ベルリンの一生や描写の鋭いキレが余すことなく見えてきます。とても特徴のある作品です。