こんばんは、トーコです。
今日は、トルーマン・カポーティの『遠い声 遠い部屋』です。
■あらすじ
ジョエルは父親に会いに行くために、アメリカ南部の小さな町にやってくる。
そこには父親をはじめ、様々な人たちが住んでいた…
■作品を読んで
正直に言いますと、なかなかにつかみどころのない作品です。まあ、アメリカ文学ってそんな作品が多い気がするというのは、トーコのよくわからない偏見でもありますが。
主人公のジョエルは13歳です。彼は母親を亡くし、叔母家族と一緒に住んでいました。
ある日、会ったことのない父親から一緒に書かないかと連絡が来ました。
ジョエルは、まだ見ぬ父親に会いにランディングという街に行きます。
そこにいたのは、病気で身動きのできない父親、華やかな時代に浸るエイミイ、重い過去を抱えるランドルフとなかなかの時の囚人たちばかり。
ジョエルは近所のおてんば娘アイダベルと一緒にランディングから逃げ出そうとするも、ジョエルは逃げ出した先で雷雨に打たれ高熱にかかります。
目が覚めて気が付きます。少年の姿を置き忘れて、大人の世界に足を踏み入れたことに。
たどり着いて物語は幕を閉じます。あー、不思議だ。何といえばいいかわからない。
ただ、ランディングから逃げ出したときに出会ったミス・ウィースティリアという美しい人ですが、ものすごく背の小さい女性に出会い、彼女の言葉で何かが変わったことです。
「今は小さい男の子たちでも、いずれは大きく成長しなけりゃならないでしょ、あたしそれを考えて、ときどき泣くことがあるの」
この言葉がこの作品のすべてを物語っています。成長することを悲しむのは永遠に小さいウィースティリアだけではないのです。
普通の男の子も女の子も成長します。いつか必ずその事実に気が付き、受け入れるのです。
ジョエルは熱を出してうなされてからやっと気が付きました。
受けいることができて、少年の姿を置き忘れることができたのだと思います。
この作品が評価されているのは、少年の繊細な心と感情を発表当時のアメリカにはない文体で見事に描いたことです。
アメリカの文体といえば、ハードボイルド小説に見る乾いた文体と呼ばれる文体です。
代表的なところでいえば、ヘミングウェイでしょうか。あれはあれでいいんですけど。
また、父親探しというテーマは、著者の幼少期に両親の離婚経験を投影しています。
見えないものに怯えるジョエルも、子どもの顔をうまく使ったり、どこかで反発したくなったりと様々な感情の動きが見えてきます。
それが13歳という大人の世界が近づくも、まだ少年の心でいたいしと惑うジョエルの心を表しています。
で、文庫版の表紙の後ろのあらすじが、文学史的な評価が8割というまさかの解説です。
もはやあらすじではないです。こんなある意味面白い本初めてです。
訳者のあとがきにもありますが、晩年のカポーティは少年に戻るために酒や麻薬の力を借りたと評していますが、なんとなく説明がつくなあと思います。
割とジョエル君、そんなに問題児すぎるわけでもない、なんか文学に出てくるちょうどいい塩梅の少年だもの。
余談ですが、カポーティの幻のデビュー作と呼ばれている作品もありますので、よかったらどうぞ。
すごく作品の毛並みが違いますよ、これ。
■最後に
少年と大人の間を揺れ動く13歳の少年を見事に描いています。
カポーティの初期の作品で文学史的にものすごい衝撃をもたらした作品でもあります。
いつかは必ず成長する。その事実を受け入れ、脱ぎ去っていく姿が印象に残る作品です。
[…] 以後に139.「遠い声 遠い部屋」という本にも若干書いていますが、カポーティの出現は当時のアメリカ文学の世界を一気に変えてしまったという破壊力がありました。 […]