こんばんわ、トーコです。
今日は、町田そのこの『星を掬う』です。
■あらすじ
千鶴は幼いころに母親と別れてから22年間会えないままでした。そんなあるとき、お金欲しさにラジオ番組に母とのエピソードを投稿する。
そのあとに母と一緒に住んでいるという女の人が現れる…。
■作品を読んで
どうやら、この作品は今年の本屋大賞にノミネートされていたようです。が、内容がいささかヘビーな気がします。
タイトルから連想される物語と実際の物語のギャップが凄いな、というのがトーコの感想です。
もう少し明るい物語を想像していたのですが、まさかここまでヘビーな物語だったとは。それでもあっという間に読みましたがね。
さて、本題に移りましょう。
主人公の千鶴は、幼い頃に母と別れ、父親と祖母と暮らしていましたが、2人とも他界します。
残された千鶴は弥一という男と結婚するも、事業を起こしては失敗し、千鶴から金をせびり、言うことを聞かないときはDVをするというとんでもない男に引っ掛かります。
そんな時に、半ば追い詰められた状態でラジオ番組に母親との思い出を投稿し、見事に準優勝を勝ち取ります。
さらに聞いていた恵真からラジオ番組への連絡で、母聖子の居場所が判明します。なんと近くに住んでいました。
しかし、聖子は52歳にして若年性認知症を発症しており、恵真と介護士の彩子で何とか面倒を見ながら暮らしていることも聞きます。
初対面で千鶴の傷だらけの状態を見た恵真とラジオ番組の担当者の野瀬は、すぐに千鶴が弥一から逃げるための手助けをします。
恵真は早速、聖子のいる家に連れて帰ります。
千鶴は母がいなくなったせいで自分の人生がうまくいかなくなったんだ、となじります。しかし、母から捨てたことに対する謝罪はありませんでした。
ここまで読んでいると、弥一からのDV、千鶴の働くパン工場の様子などなかなか厳しい現実を見させられるので、若干気分のいいものではないです。むしろ、気分が悪い…。
さらに、母親のせいにするという設定もかなりの違和感があります。トーコは最初の1章分まででは感想が言語化ができず、もやもやしたまま読みました。
第2章からは実際に母親と恵真、彩子と暮らし始めます。まず、千鶴は弥一が来る危険性があるので、基本は家に閉じこもります。
千鶴はみんなと違って自分は不幸だ、と思い込んでいましたが、恵真にも彩子にも様々な事情を抱え、その結果聖子と一緒に暮らしていました。
しかも、22年前に持っていた母親像となかなかかけ離れており、千鶴の母聖子への理解がなかなか追いつかず、戸惑います。
22年の空白を埋めるには、あまりにも大きすぎたのです。おまけに若年性認知症も入っているのでなおのことです。
ある時、千鶴は倒れます。倒れたときに、恵真に思いの丈を話したところ、往診に来た医者の結城にこういわれます。
「…。知ってても言うよ。不幸を親のせいにしていいのは、せいぜいが未成年の間だけだ。もちろん、現在進行形で負の関係が続いているのなら。」
…略。
「せめてこの二十代の間でどうにかしたほうがいい。いい加減、辞めな。でいうか君、あんまりにも幼稚すぎるんだよ」
読者のもやもやを結城が解決してくれた瞬間です。この不幸を親のせいにしたままでは、いつまでもみじめなままです。
だから、ふと自分の様子を見たときに醜く見えてしまう。でも、千鶴自身も気がついてはいます。
母に捨てられた哀しみや歪みは、わたしと同化してしまっている。もはやわたしそのものだ。そのせいで苦しいのは分かっていて、引き離せるものならそうしたい。でも、わたしはその方法を知らない。薄汚れた心をどうしたら綺麗にできるかなんて、分からない。
まあ、なかなかにこじれています。自覚はあるようですけど、どうなるのやら。
そんな時に、彩子の娘の美保が突然現れます。彼女は、父親に捨てられ、母親を自分で捨てたくせに母親を頼ってきます。
しかし、勘のいい読者ならわかりますが、美保の言動は千鶴と全く変わりません。むしろ、母親側の聖子と彩子の行動が対照的過ぎます。
聖子は放りますが、彩子は美保が未成年なので過保護に世話をします。
ついに、様子を見ていられなくて、千鶴は自分に言い聞かせるように美保に向かってこういい放ちます。
美保ちゃんの苦しみは、彩子さんのせいじゃない。あなた自身の責任だよ。
そして、わたしの不幸も、あの人のせいなんかじゃない。
辛かった哀しかった寂しかった、痛みを理由にするのって、楽だよね。わたしもそう。誰かの―あのひとのせいにすると、自分がとても憐れに思えて、だから自分の弱い部分を簡単に許せた。仕方ないじゃない、だってわたしは小さなころに母親に捨てられたんだもの、って免罪符にもしてきた。
そこからですが、なんとなく関係性が変わってきます。その一方で、聖子の認知症が進み、ついに老人ホームに入ることになりました。
そんな時に、美保のインスタから場所を特定されてしまい、パン工場の同僚の岡崎と弥一が千鶴のもとに来てしまいました。
弥一が殴りかかった際に、恵真と千鶴をかばった聖子に「いきなさい、ふたりとも」と言って送り出されます。聖子は倒れています。
ほどなくして、結城が弥一を取り押さえ、救急車が来ます。さらに、弥一は逮捕されることになり、事情聴取をするもまともに受けられる状態ではなかったので、結城と野瀬がうまく対処してくれていました。
最後の「いきなさい」は複数の意味を抱えているんだな、と恵真と千鶴は回想します。だからひらがななのでしょうね。
行きなさいと生きなさい。なんだか、和歌のような構造になっていますね。
もちろんですが、聖子がなぜ千鶴を置いて逃げて行ったのかも回想されています。しかし、認知症により曖昧な記憶からはまるで掬うようにして語られています。だから「星を掬う」なのだな、と納得します。
また、ラストに近づくにつれ、千鶴と恵真の関係性も変化します。
恵真と聖子とは8年ほど同居し、聖子のことを「ママ」と呼ぶ恵真に嫉妬するも、恵真がこの場所に落ち着くまでの出来事を聞いて、千鶴の恵真に対する見方が変わっていきます。
やがて、恵真がお酒に酔いながら千鶴に「お姉ちゃん」と呼んでいいかを聞きます。千鶴は素直にいいとは言えませんでしたが、それでも恵真は心の中で呼ぶね、と言います。
こうしてみると家族って一体何なのかが分からなくなっていきますが、こういうつながりのある家族っていいものだな、と思いました。
物語の最後で、千鶴は職探しをし、ラジオで自分の体験を語ることになったことを聖子に報告します。明るい風が吹いてきてよかったです。
■最後に
母親に捨てられたところから動けなくなった女性が、その周りの人たちの助けを得ながら少しずつ立ち直っていく物語です。
家族って一体何だろうとちょっとだけ考えさせられます。