こんばんわ、トーコです。
今日が、水上勉の『土を喰う日々』です。
■あらすじ
少年時代、著者は禅寺で修行をしていました。そこで、様々な精進料理を教えられました。
その体験をもとに、著者が自ら料理をし、それをまとめたクッキング・エッセイです。
■作品を読んで
意外や意外、この方料理ができるんだなあ、というのが第一の感想です。写真を見ても、そんなイメージのない方なので。
この作品は、少年の頃京都の寺に預けられ、小僧として修行していたころ覚えた精進料理をもとに、季節の食を作り、こうして本にまとめられています。
季節と言っても、12か月にきちんと分けられていますけどね。まあ、その時の季節もきちんと描かれていますけどね。
禅寺というところはすごいところで、日常のなかに難しいことをちびっと溶かして教えるらしく、水を横着して庭に捨てようとしたら、先輩たちから「粗末なことをするな。どうせ捨てるなら、庭に出てこれぞという木の根にかけろ」と怒られたそう。
推しの木には水かけていいのか…、って問題はそこではなくて、一滴の水でも草木は待っている、だから粗末に扱うなという教えのようです。
地面のどこに捨ててもたどり着くのに…、ということは置いといて、寺の修行は万事がこんな調子のようです。
そして、この本のタイトルの意味もこういいます。
何もない台所から絞り出すことが精進といったが、これは、つまり、いまのように、店頭にゆけば、何もかもが揃う時代とはちがって、畑と相談してからきめられるものだった。ぼくが、精進料理とは、土を喰うものだと思ったのは、そのせいである。旬を喰うことはつまり土を喰うことだろう。
畑から直接その日に食べるものをとるという、今となってはごくごく限られた人しかできないことを実行しています。
しかし、冬になれば雪の日は作物を畑に取りに行けません。そんな時は乾物籠を開けて、椎茸、干大根、ひじきを探します。
この乾物籠にあるものがまさかのトーコ家にも常備されているので、そこは寺と変わらないのでまあびっくりですが。
とはいえ、かなり限界があるでしょう。買いに行く頻度が余りにも多かったら、先輩たちから小言を言われます。
畑から直接取ったものを食べる、旬を食べることは大地と陸続きということを、寺の小僧時代に嫌と言うほど学んだのだと思います。
だから、土を喰う。
ちなみに、料理番組で小芋(=さといも)の皮をむくのを見て、著者は驚きます。お寺で教わった独特な方法で皮をむくそうです。
というか、その方がいいのですが…。里芋の皮をむくって、結構大変なことですから。現代人は皮がむかれたものを買うのですから…。
1月の章は、著者がなぜに精進料理を作れるか、寺に預けられ、やがて老師のお守役と老師の会食用の食事をまかされていた経験によってということをひもといています。
著者は軽井沢に住んでおり、冬は雪が積もるので、食材も貯蔵しているところからのものを使用しています。
正月から2月まではその貯蔵庫からのものを使用するため、まだまだ土を喰う日々からは遠いです。
なので、2月の章は、すりこきと味噌の話になります。とはいえ、章の巻末の写真は、ふきのとうの網焼きというなかなか渋いものですが。
3月の章は、高野豆腐です。これもなかなか渋い…。
さらに冬場の青菜がない時の裏技があります。高野豆腐を絞って、その上に春菊やなずなをゆでたものを細かく刻んで盛りつける。そうすることで、彩りが出ます。
なんだか、今の世の中だといろいろなものがあるからなかなかイメージがつかないシーンですが、昔は季節のものは季節にしかなかったんだなあと思い出させてくれます。
4月になると、軽井沢は山菜の季節がやってきます。リゾート地というイメージしかないので、意外や意外。でも山だからやっぱり、山菜は採れますね。
タラの芽、よもぎ、こごみ、あけび。今までは山菜と言っても「ふーん」としか思わなかったのですが、年をとったせいというよりも文章のせいで美味しそうな気がしてくるのですからね。
それだけ魅力的な文章です。そういえば、トーコもこの後偶然あけびが安く売っていて思わず買っちゃいましたね。
この章の最後に筆者はこういいます。
禅宗の僧たちはうまいことをいう。一所不住だと。真の高僧はどこにいても極楽を見出す。酷寒の山にくらしても、文明の都会にくらしても、どこだって己れが住む場所だ。随所作主。どこでも主人になれるというのである。
別に山に住んでいなくてもいい。スーパーで売っている野菜から季節を感じてもいい。
トーコのように一族郎党に農家がいなければ、山を持っている人もいないなら、スーパーで売っている野菜から季節を感じるほかないです。
著者はそこを決して否定はしていませんし、というか、禅僧だってそういうのです。なんだか安心します。それでいいのです。
とまあ、こんな調子で5月以降も続きます。季節の情景とその時期の旬なものを描いています。
自然と食は大いに関係していて、私たちはそれを忘れているので、思い出させてくれます。
■最後に
季節の旬のものを、子供の頃の禅宗の寺の教えをもとに精進料理としてアレンジしていきます。
著者の意外な一面がのぞけるのと同時に、季節の移ろいや旬の食べ物を感じさせます。自然と食は大いに関係していることを思い出させてくれます。
忘れがちなことに気づかせてくれます。