こんばんわ、トーコです。
今日は、石井桃子の『新しいおとな』です。
■あらすじ
著者は子供と本を結ぶことを生涯の仕事にしていました。
子供にとって良い本とは何なのか。幼少期の豊かな読書体験や子供の本の編集翻訳創作かつら文庫での実践を通して学んだことを優しい言葉で伝えてくれるエッセイです。
■作品を読んで
以前紹介した『プーとわたし』のあとがきを書いた梨木果歩が石井桃子のことを「子供部屋の番人」と呼んでいました。
そんな子供部屋の番人が幼少期に体験した読書がベースとなり、子供に対しとって良い本は何か、どう伝えていけばいいのかと言う活動を通して得た事をまとめています。
とても本に対して、子供に対して愛に溢れてる文章です。すごく読み終わった後にはっとします。同時に読書が好きでよかったなぁと思わせてくれる1冊です。
それでは中身を見ていきます。1番最初のエッセイは、「私の読書」と言う幼少期の読書体験を振り返ったエッセイです。
思い起こせば、幼少期6つの時です。冒頭の文章は、いつごろから読書のたのしみというものが、人生にはいってくるのだろうか。」と言う文章から始まります。
そこから、字は読めなかったけど、うまく楽しんだ体験が記されています。
ほんといつから入ってくるのでしょうか。そしてどうすれば多くの人に読書の楽しみと言うものが伝えられるのでしょうか。知りたいなと思います。
でも最後に、こう言います。
私はいつも本が好きだった。そのくせ、私はおどろくほどほど僅かの本しか知らない。文学入門書などにあげられる古今の名著をほとんど読んでいない。どうも幅のせまい私の頭脳には、たくさんの本がはいる余猶がないらしい。それには、ごく僅かな友達しか持たず、それでけっこう満足していることと、どこかで関連しているらしい
沢山本を知らなくても、読書の良さは十分すぎるほど伝わってきます。
また、著者はディック・ブルーナの「ちいさなうさこちゃん」というシリーズを訳し、私設図書室「かつら文庫」においてみることにしました。「ちいさなうさこちゃん」はミッフィーのことですね。
するとどうでしょう。3,4歳の子から小学校6年生までの子までが手に取っていたのでした。中には生後8ヶ月らいの子にプレゼントした人も。
著者は8ヶ月の子にはまだ早いのでは、と思っていました。しかし、親の話を通して現実のものをイメージしながら、やがてイメージの力を借りずにイメージしていき、抽象概念を理解するということを子供はいずれ学ばないといけないです。
ここから得た教訓がこれです。いや、これだけではなく、かつら文庫での取り組みを踏まえての感想です。
これを読む時、この子は、文字を読めないでも、もうりっぱに頭の中である世界を構築しています。そこから、文字の世界へは、ほんのひととびであるということは、私が、この十年、小さい子どもたちに接してきて、知らされたことでした。
ただし、そうであるためには、お話の絵本は、かなりの条件を備えていなければなりません。幼い子どもたちの教育にたずさわる者たちは、どういうのが、よい絵本か、それを学ばなければならないと思います。
子どもって、大人が思う以上に世界を構築しています。トーコには、小さな子供がいないので、これはこれで新鮮な驚き。
そんな子どもたちを生み続けるには、質の良い、子どもにも受けのいい絵本を備えないといけないですね。
このエッセイの連載当時は戦後のため、子どもたちも戦争を知らない世代へ戦争体験をどう伝えるかといった、本質は今と変わらない問いがそこにあります。
そして、何よりテレビの出現は大きいです。当然ですが、テレビで時間を取られてしまい、本を読む時間は確実に減っています。
加えて、現代の世では、スマホが出現しました。著者の時代よりも、もっと大変です。
著者は、かつら文庫という私設図書室を開設し、12歳以下の子どもたちを対象とします。12歳から上の中高生向けが一気に消えるのも、問題っちゃ問題なのですが。
どうやって子どもたちに対して本を読むきっかけを作ればいいのか。アメリカなどの他の先進国では児童図書館がすでにあり、図書館全体の組織に紐づけられています。日本は幸いなことに、文盲率が低い国でもあります。つまり、みな字が読める。
日本の場合は、当時はとにかく児童図書館を併設することが求められていました。この作品の中で、著者は児童図書館のあり方をきちんと記しています。
非正規雇用の司書が専門家で、専門性が一切なく一時的にしかいない市の職員の方が正規雇用という不思議な状況を見たら、一体…。嘆くことでしょうね、
子どもたちへの読書教育の重要さは、著者の子どもの頃からの豊かな読書体験に基づいています。「巌窟王」、「シャーロック・ホームズ」、「銀の匙」、井伏鱒二、「嵐が丘」など。
「銀の匙」や井伏鱒二と言われると後世の人間からはビビりますが、当時は流行作家だったんですね…。
そんな体験を踏まえ、子どもたちに本を読む大切さを説き、図書館を広めようと活動していました。
この作品は、その当時を綴ったエッセイです。だから、読んでいるとすごく一貫性のあるんですね。主義主張が一貫しています。
最後に、こんな言葉を。
子どもの本は、つくられるというよりも、幼児と共に(自分のなかの幼児でもいい)何事かにぶつかり、共に喜んだり、悲しんだりしたとき、生まれてくるように、私には思われる。
個人的には絵本がものすごく苦手なのですが、その理由が分かった気がします。めっちゃ考えさせられるし、量は絶対に読めないから。
そりゃそうですね、つくられ切れているわけではないですからね、大人の本と比べても。
新しいおとなの定義はエッセイのどこかにあります。ぜひ探してみてください。
トーコは、読書が続いたおとなになったのかな…。
■最後に
子どもの読書と図書館を広める活動に力を注いでいた時期のエッセイがまとめられています。主義主張が一貫していて、とても読みやすく、真剣に取り組んでいたんだなということがわかります。
幼少期の読書体験と子どもたちへの実践によって得たこと、感じたことが綴られています。
■関連記事
石井桃子のエッセイは他にも1冊紹介しています。125.『プーとわたし』
翻訳秘話を綴ったエッセイもあります。