こんばんわ、トーコです。
今日は、島本理生の『夏の裁断』です。
■あらすじ
小説家の千紘は、編集者の男に苦しめられ、しまいにはパーティ会場で彼の手にフォークを突き立てる。
療養中に、鎌倉の祖父の家で蔵書の裁断しスキャナに読み込む、「自炊」をする。
■作品を読んで
まずは、これまでに紹介した島本理生作品を。
19.『ナラタージュ』、81.『イノセント』、232.『ファーストラヴ』
こうしてみると、どの作品も愛や恋愛に対してある意味トラウマを持っている女性をテーマにした作品が多いなあ、と思います。なかなか癖のある作品が多いですね。
まあ、島本作品はこれだけではないので、これからもいろいろと読んでみたいです。一体どんな見せ方をするのだろう、作品も作家自身も。
ちなみに、この作品は単行本の時よりも作品が増えています。トーコは単行本版でも読んだ記憶があるのですが、表題作「夏の裁断」だけだった気がします。
なんというか、ちょっとだけ希望を持たせて終わっていたような気がします。
文庫本版は、夏の章だけでなく、秋と冬の章も追加されており、四季折々の風景と主人公千紘の心情がうまく描かれています。
脇道にそれてきたので、作品に戻りましょう。
のっけから、なかなか衝撃的な場面からスタートします。女がいきなり柴田さんという男性の手をめがけて、フォークで刺そうとしたのですから。展開の早さと衝撃で、一体何がどんな事情で起こったのか、読み手には訳が分かりません。
というか、フォークで刺そうとした本人が1番訳わかっていない、という状況です。それからしばらく女は引きこもっています。
そんな時に、母親から亡くなった祖父の蔵書整理を手伝ってほしいといいます。しかも、自炊しようと言い出します。
千紘(女です)は困惑します。千紘の職業は作家です。自炊という言葉を聞いたときから嫌悪感しかなかったのですから。
一方、自炊という言葉に対して水商売の母親は何も感じないのでしょうね、と千紘は思うのでした。
この時の心情を千紘はこう表現します。
自炊ということは。
本を、切るのだ。
ばっさり裁断して、データとしてパソコンに取り込んだ後は、大量のゴミとして捨てられる。
考えられなかった。自分の手足を切り取られるようなものだった。
そして、同時に出会いたくなかったと思います。自炊に、柴田に。
柴田は、知り合いの作家の授賞式に出席していた時に出会いました。柴田は出会った時から酔っていて、千紘に言い寄った時の様子を見て、別のベテランの女性担当が入ってきたくらいです。
それから、柴田とは仕事の打ち合わせを兼ねてちょくちょく会うようになります。
とはいえ、初対面の時からかなり問題アリな匂いしかないのですが、身体の関係を持たせたり、なかなか会えないのは千紘の方が悪いようにされたり、と違和感でしかないです。
そんな時に、大学の恩師に相談します。神経症か何かに罹っているかもしれない、と。しかし、教授の分析はこうでした。
「…。人の分析はわりに得意なのに、自分のことになると極端に憶病なんだよなあ。菅野さんは正直、臨床で仕事するには繊細過ぎると思ってたよ。籠って仕事するのが合ってます。だけど、身の守り方を覚えないと同じことを繰り返すよ。むこうも大したことを考えてやってるわけじゃないだろうけど、本能的に人をコントロールするのが得意な人間はいるんだよ。…略」
(中略)
「答えを求めてもない。彼らはなにも考えてない。ただ、あなたを刺激して、自分のほうに意識を向けたら満足して気分で突き放すだけ」
「意味があるかもしれないって」
「思いたいよね。でも、そんなもんないよ」
裁断を進めながら、間に柴田との記憶が描かれています。なかなか残酷ですよ。切りつけ未遂事件を起こしているのですから。
読み進めると、千紘は磯和という男によってトラウマ的な記憶を植え付けられ、今日に至ったことがわかってきます。
だから、恩師の言葉が響いてきます。身の守り方を覚えないと同じことを繰り返す。
トラウマのような出来事が間もなく30歳になっても起こってしまい、自分の身を守り切ることができなかったのですから。
フォーク事件が起こってから、千紘は再び恩師に会いに行きます。そこでの会話がこれです。
「幼い頃、酔った大人のお客が同意だったように見せかけて、子供の私に性欲を出したり、弱さを利用して支配欲を満たしたり。父ですら、娘というよりはそのへんの女みたいに扱った。…略」
「…。そんな男たちがいなくても、お母さんがちゃんとした接客と居心地の良い空間を提供していたら、成り立つものだから。現にあなたがいなくなった今も、お母さんは今まで通りやってるでしょう。だから卸し金で身を削るような献身はもうやめようよ」
夏の終わりに、千紘は自分を縛っていたのは自分自身で、本当は何にも縛られていなかったことにようやく気がつきます。同時に、鎌倉の家は売れることになり、第一章は終わります。
ここからは、秋の章、冬の章と続きます。
秋の章は、もともと夏の章でも登場していた、猪俣というイラストレーターの男、と新しくモデルの若い男、清野という男が登場します。
夏の章の終わりで売れたはずの家が、購入者がばっくれたことにより、秋の章でも千紘は鎌倉に住み続けていました。
千紘の心の混沌を救ってくれたのは、清野でした。会社員で親のいない清野の普通な存在が、他の男とは一線を画していました。
冬の章で展開を迎えます。
亡くなった祖父からのプレゼントを母親から渡された後、清野に思いきって、私たちの関係性って何ですか、と思わず言います。
しかし、清野からの答えはありませんでした。距離を置こうと言って去っていきました。
山手線に乗って恋愛の歌を聞いて、千紘はこう思いました。
鎌倉の秋の夜に、駅のベンチに腰掛けて私を待っていた彼を見たとき、これだけで永遠に生きられる気がした。それが恋だった。好きでも愛してるでも足りない。だけど恋愛は一人きりではできない。
初めて心から、幸せになりたい、と思った。
私は清野さんじゃない誰かと付き合って、正しい約束をして、そして、幸せになりたい。
おそらく初めて千紘の明確な意志が出た瞬間な気がします。幸せになりたい、と心の底から願って冬の章は終わります。
春の章で、千紘は執筆のため海外に3週間ほど滞在することになります。
そのための英会話レッスンで、講師がどうしてという出来事を話します。それは千紘に衝撃を与えます。違和感や不快感を与えることにNoと言っていいことを。
偶然にも磯和の名前を検索したら、とある町にいることが判明します。千紘は磯和を訪ね、性的被害等やられたことをバーのママの前でばらします。
ママは信じられないといいますが、お釣りを届けに来た娘さんは「あの人嫌い」と心底嫌そうな顔をしていいます。千紘は同意します。
東京に戻ってから、無視していた清野のメールの返信を書きます。すぐに来てお互いの想いを伝えます。千紘の幸せが見つかったようです。
何だか、ここまで読むと単行本版と大幅に違う展開と、千紘の変化の続きを見ることができて面白かったです。
■最後に
単行本版しか読んでいない人も、書き加えられた作品たちによって結論が異なってくるので、もう1度読むことをお勧めします。
千紘のさらなる葛藤が見られて面白いです。単行本と文庫で、作品の印象がここまで変わるか、と思いましたから。