こんばんわ、トーコです。
今日は、沢村貞子の『貝のうた』です。
■あらすじ
「女か…」と父に言われながら誕生し、学問が好きで女子大まで行くも、左翼劇団に入ってしまい、左翼活動に従事する。
逮捕、抑留され、その後映画女優の道を歩き始める。終戦の日までの半生を描いています。
■作品を読んで
この方は、最近だと料理に関するエッセイが話題になっていたような、いなかったようなという方です。
もともと女優さんで、確か黒柳徹子が「お母さん」と呼んでいた人だったと思います。女優引退後も徹子の部屋には出ていたようです。
参考に以下の本を紹介します。多分、触れてたような気がします。
11.『トットチャンネル』、58.『トットのマイ・フレンズ』
表紙の写真を見る限り、まさかそんな人生送っていたのね…、という話が信じられない雰囲気を醸し出しています。
このころは若いころのようにドタバタしているのではなく、落ち着いていたからなのだとは思いますが。
それでは、本編に行きましょう。
まずは生い立ちから。1908年に東京の浅草に生まれます。父は狂言作者で、口癖は「自分の子供はすべて役者にする」という人でした。
母は、父との結婚は子供を産む機械(言い方悪くてすみませんが、実際にそう感じていたという記述はあります)、子孫を残すために頭のいい人と結婚したということに早くから気がついていた人でした。
姉は生まれて早々に父の妹に引き取られ、兄は父に可愛がられ、著者と弟は母と一緒にご飯を食べるという生活を送っていました。
ちなみに、この4人はかなり名を残した人たちです。姉は福祉事業家、兄は俳優として活動し、妻はマキノ家の人で、長門裕之、津川雅彦の父でもあります。弟も俳優です。
兄と弟は早くから芸能界で活躍していました。特に弟は子役のころから人気で、兄と弟が同じ電車で地方周りをするときに、弟と付き添いの母は2等で、兄は3等という出来事がありました。
その一方で、沢村貞子は幼いころに長唄を習うも、小学校に行くようになると、学校の先生になりたいという夢を持ちます。
また、小説を読むのが面白いこと、と幼心に思ったのか、かなり夢中になって読みます。そんな様子を見かねた母親にこういわれます。
「女の子はね、もっとほかに、おぼえなければならないことがたくさんあるんだから、明日からもう本を読むのはやめなさい」
でも、私は、もっと読みたい、と思った。もっともっと、いろんなことが知りたかったから。
なんだか、勉強をしたい人にとっては100年前って不便な時代だったんだな、と思います。トーコはこの時代を生きていける気がしません。
好景気が収まったころ、東京府立第一女学校を受け、無事に合格し、進学します。
女が学問をして、と言われている時代に、学校で「男女平等」という言葉を聞いて、驚きます。男と女が平等になったら、女はどんなに幸せだろう、と思い、この言葉を知っただけでも女学校に来た甲斐があったと綴ります。
それが大正10年(1921年)の話ですから、まあ、不便な時代です。
とはいえ、家は芝居で食べているとは言えない時代です。俳優という職業が卑しめられていた時代のことですから、なかなか友達もいなかったようです。
この年は、関東大震災に見舞われます。お昼ご飯を作っている最中の出来事で、母親から「ガスを早く消して」と言われ、元栓を閉めます。
そのあと、作っていた小豆ごはんと鰹節3本、鉄瓶に入ったお湯を持たされて逃げます。なかなか頼もしいお母さんですね。というか、鰹節を嘗めてしのぐって、スゲー発想。
それから、1度東京を離れるも、周囲の人の協力で早々と東京に戻り、女学校に再び通うことができました。その時に思いついたのは、家庭教師のアルバイトでした。
学費を稼いで、それでも余ったお金で本を買いました。父親は色気がねえ、とぼやいておりますが。そんな時に、初代沢村宗之助の子息たちの家庭教師をしないかという誘いを受けます。
もっと勉強したいと思い、日本女子大師範家政学部に入学します。兄の襲名騒ぎのどさくさ紛れて、姉も進学したのだから、と言いくるめて。
しかし、学校で教師間の足の引っ張り合いを見た瞬間に失望し、新劇の劇団に入団することにしました。役者の方がましだ、と20歳の時に思ったからでした。
やがて学校を退学します。同時に、左翼劇団の団員になります。さらに、人に言われて左翼劇団の今村と結婚することになります。23歳の時のことでした。
なんだか、今でいう洗脳に近い状態です。理想に上手いこと共感してしまったがために、左翼の活動を担う羽目になりました。
さらに治安維持法により、左翼劇団は特高ににらまれていました。警察が見回りに来ているのです。今では信じられないことですが。
それゆえに、今村と結婚して半年で逮捕されます。そのまま留置所に送られ、2か月後に送検され、刑務所に送られます。刑務所には10か月いました。
公判が始まってから、公判を中止にし、保釈取り消しの手続きの最中に地下に潜るも、失敗し、再逮捕。再び刑務所に送られるも、警察からは夫の今村が話したと告げられます。
この時の様子は克明に記載されています。信じていたものから一気に裏切られてしまった状態です。曲がりなりにも信じていたわけですから。宗教か何かに引っ掛かった人の状態ですね。
それから、懲役3年、執行猶予5年が言い渡されます。その直後に、京都に住む兄のもとにおいてもらうことになりました。
来た当初は気力をなくしていたのですが、甥っ子の長門裕之が生まれてから、映画女優になりたいと思い、兄に頼み、日活に入社します。(当時の映画俳優は、映画会社に雇われているので、入社になります。)
この方は、こんな選択をします。
二十代でスターであった人が、四十代、五十代までスターの地位を保つことができるのはよほどの才能をもった人だけである。スターとしての夢ももたず、ただ、職業として俳優を選んだ私が、一生食べてゆくためには、
〈やっぱり脇役を志す方がいい〉
私は、いつも間にか二十六歳をとうに超えた自分の顔をみつめたうえで、はっきり、自分の道をきめた。そして、次から次へ与えられる役を、ただ一生懸命やった。
そうこうしているうちに、戦争がはじまります。弟は戦争にとられましたが、兄は劇団を作って地方を回っています。その応援に著者が呼ばれました。
偶然なのですが、著者も大阪で空襲に遭っています。前回紹介した381.『田辺聖子十八歳の日の記録』でも大阪空襲は出てきていますので、一応参考に。
かなり命からがら逃げています。京都で行きつけの旅館に飛び込んで、そのまま寝てしまったそうです。お兄さんは探しに出かけて死んだと思っていたようですが。
世田谷で同居している両親と義理の妹を京都に疎開させます。とはいえ、京都は1度も空襲を受けていないので、家の値段は高騰していたようです。
ほどなくして、終戦の日がやってきます。戦争に負けても、女たちは掃除を始めます。スゲー、生命力…。
お兄さんは死のうとしていたのですが、著者、義妹、母が掃除している様子を見て、あっけにとられます。死ぬのをやめました。危なかったですね、貴重な命が。
ここまでの半生を描いています。最後に、食についての話を。辛すぎる刑務所生活で思ったことは、料理は愛情が第一で、食べる人に合わせて料理をしようと決意したのだとか。
料理の本については、いつか必ず読んで書きますね。
■最後に
意外とかなり波乱万丈の半生が描かれています。かなり時代を感じます。
時代の波に翻弄され、時に残酷なこともありましたが、結構冷静な目で書かれています。