こんばんわ、トーコです。
今日は、梨木香歩の『春になったら苺を摘みに』です。
■あらすじ
英国に留学した「私」は、ウェスト夫人の下宿で過ごすことになります。
そこには、様々な人種や考え方を持つ住人たちが住んでいました。
■作品を読んで
この作品を読んだ感想は、世界にはこれだけの多様性があるんだなあ、と思いました。
英国のエセックスのあたりの教員養成学校に入るために、まずは語学学校に入校します。このエッセイを書いたときは留学後20年が経過しているので、当時の学校の雰囲気が変わったと記しています。
エッセイでは、1つ1つを丁寧に振り返っています。
まずは、「ジョーのこと」。ジョーとは、14年前に留学した際に、ウェスト夫人の下宿に住んでいた教師でした。
ジョーの家族のほとんどは、聴覚に障害のある人たちで、彼女自身は手話や読唇術で会話していたそうで、家はかなり静かでした。
だから学校に行ったときに、こう驚いたそうです。
学校に入って一番びっくりしたのはあらゆる声が一斉に回りから降ってきたとき。私の声のする方向へリスのように首を回して必死でその唇を読もうとしたの。ほとんどパニック寸前よ。
そんなこともあるんだな、とちょっと面喰います。本人は何度も話しているので、慣れているようですが。
ジョーが相次いで家族を亡くした時に、エイドリアンという男と出会います。
しかし、彼はインドで妻子を持っていたのですが、著者のある日の服を見て、「気に入った!」と異様な興奮を見せたり、ウェスト夫人の小切手を盗んだり、と違和感のある行動が目立ちます。
最終的には、非常に賢いジョーが、著者の帰国後にエイドリアンと共に下宿を出ます。学校のキャリアを捨てて、ジョーが面倒をみなければ精神病院に行くかもしれないエイドリアンとともに。
そういう星の人なんでしょうね、ジョーって。
この章の終わりに登場するジェイミという青年が、まさかの近所の腕白小僧が大きくなったのを見て、14年の歳月を思い出します。
読み手も、ジョーの話だけだと身も蓋もないですが、この話があるので非常にほっこりしています。
「クリスマス」という話では、著者はクリスマスにトロントからニューヨークに行きます。
ウェスト夫人は常日頃から、「ニューヨークを知らなければならないわ」と言われ続けていましたが、著者が全く気のない返事をしても、今年の冬著者はトロント、ウェスト夫人はニューヨークにいるので、「近いんだから来なさいよ」と言われ、ニューヨークに行きます。
著者の作品を読んでいればわかるかと思いますが、著者が惹きつけられたものは荒れ地に沼地、野山に小川、人の住んだ跡、生活の道具、人が生きた工夫といったもの。
大都会とは真逆のものが好みであることが、著者自身もいやというほどわかってきたところでした。
そんなときにウェスト夫人をはじめとした家族たちから、クリスマスにニューヨークで過ごすことについて電話で攻勢を受け、ついに陥落した著者はニューヨークでクリスマスを過ごすことに決めました。
なぜ、ウェスト夫人がニューヨークを案内するのにこだわったのだろうか。物書きになるって決めた著者にニューヨークを見なくてどうするという思いや、昔過ごしたニューヨークを見せたかったのかもしれない。
と思っていたら、次第にウェスト夫人がなぜ著者にニューヨークを見てほしいかがわかってきます。
ニューヨークの紀伊国屋書店を見て、日本語の本を見てはっきりと思います。自分が大切にしている日本語の世界を、ウェスト夫人たちは共有することができない。距離を感じるが、はっきりとした違いを味わった瞬間です。
ニューヨークについてから、ウェスト夫人とその他の家族と合流したのち、妹の住むコネティカットに向かいます。
程よい距離感で、ニューヨークと違って静かな環境で大家族のクリスマスを楽しみます。
著者は、1人のクリスマスもいいけど、家族の気配を感じたり、何かの気配を感じることができ、それが意外としっくり来たようでした。
なんか、いいですね。1人より、気心知れた仲間と共にいるというのも。
「子ども部屋」というエッセイで、こう言います。
子ども部屋を出たその場から、たとえ日本にいても、私にとってはどこでも異国だった。言いかえれば、子ども部屋の風が吹いているところは、私にはどこでも懐かしい故郷なのだった。
著者自身、日本のどこっていうルーツはなく、子ども部屋だけが、自分のルーツでもあります。それ以外は旅人として、異邦人としての世界があります。
そういえば、ウェスト夫人の下宿にも様々な異邦人がいましたねえ。
また、「五年後に」というエッセイでは、
できること、できないこと。
ものすごくがんばればなんとかなるかもしれないこと。初めからやらないほうがいいかもしれないこと。やりたいことをやっているように見えて、ほんとうにやりたいことから逃げているのかもしれないこと。ーいいかげん、その見極めがついてもいい歳なのだった。
けれど、できないとどこかでそう思っていても、諦めてはならないこともある。
それが5年経って気がついたことなのかもしれない。トーコも時々思う。やりたいことに逃げすぎてはいないか、それは諦めちゃダメなのか。
わからなくなる時がありますね。
■最後に
タイトルから想像できないほど、酸っぱめのエッセイが揃っています。
多様性があり、葛藤や成長が見えてくる、不思議な作品です。