こんばんわ、トーコです。
今日は、ラッタウット・ラープチャンルーンサップの『観光』です。
■あらすじ
タイを舞台に、様々な少年少女の見る日常の世界。
その断片を温かくも時には残酷につづる短編集です。
■作品を読んで
この作家さん、デビュー作とは思えないくらい素晴らしいのですが、なんと現在ちゃんと創作活動をしているのかが全く持って不明だそうです。
文庫化した際に著者の出版エージェントに連絡したところ、長編執筆のはずがまさかのエージェントですら連絡が取れない状況になっているようです。それはいまだに変わっていません。
まさかの一発屋状態になっております。しっかしまあ、生きてるのでしょうかね、この作家さん。ご無事を祈ります。
さて、本題に戻ります。
それにしても、読んでいるとなんだか情景がよく浮かんできます。結構リアルな感じがします。
例えば、「カフェ・ラブリーで」という短編では、11歳のぼくと17歳の兄との出来事を描いています。
父親を亡くし、母と兄弟でバンコクで生活しています。ハンバーガーがまだ珍しいころの話や父親を亡くしたばかりのころなどが回想されています。
父親を亡くしたばかりの母親の様子をこう描いています。
父さんが死んでから、母さんは自分の人生を興味深げに覗く傍観者になったようだった。しかし、いまから思えば、母は自分の悲しみにぼくらが気づくのを待っていただけなのかもしれない。でも、兄さんもぼくもそのころはまだ幼かった。それに、子どもが自分の愛する人の悲しみの深さを理解するようになったときには、もう子どもではなくなっているのだ。
兄は父を失った悲しみに向き合うのに必死でした。しかも、彼にはおそらく家を支えるという役割も担いつつあったと思います。
特にぼくは母や兄の愛が必要な時期でもあります。兄が家のことで怒りだしても幼いぼくにはどう受け止めればいいのかわからないはず。
でもまあ、子どもが愛する人を失う悲しみを理解できたら、確かにかなり早熟な子どもですわね。
そういないと思いますし、なんか子どもらしい何かが欠落していて、逆に怖い。
やがて兄は、父親のバイクをどうにか家にとどめることに成功します。母親が売ろうとしていた時に、兄が抵抗し、ほしかったバイクを手に入れます。
兄は、ホンダのバイクを内心は父親の形見としたかったのでしょう。それにしても、ホンダ350㏄のバイクを指す言葉がまさかのホンダなのには驚きます。それだけ、このサイズのバイクはメジャーなんですね、海外では。
兄は、弟のぼくにもバイクに乗せ、乗り方も教えます。
しばらくして、兄はカフェ・ラブリーという店に友人と夜な夜な出かけます。その時になぜか、ぼくも行くといい、一緒についていきます。
カフェ・ラブリーという店は日本でいうところの風俗店です。ダンスをしながらほかの客と同様に、兄ももれなく女の子と一緒に消えます。
ぼくがいくらちょっとだけ煙草やシンナーの匂いが分かっても、男たちが獣のように女たちのからだの上にのたうち回る姿を想像するに、子どもながらに大人の世界ってこんなんなんだと愕然とするものを感じるのでした。
兄はバーテンダーに怒られます。子どもをこんなところに連れてくるな、と。そりゃそうだ。こんないかがわしい場所、子どもが来る場所ではない。
ちなみに、この夜の話は兄の中ではなかったことになっています。カフェ・ラブリーに連れて行き、バイクで高速道路を走ったことも。
その時の回想では、その後兄は引っ越し、家には母親とぼくだけになりますが、母親の留守中に父親のものを無断で質に入れ、バイクを勝手に買ったことで母親から家から出て行け、と言われます。次に母親に会ったのは臨終のときでした。
最後は、カフェ・ラブリーからの帰り道のシーンです。兄はぼくにバイクを運転させます。しかも、家に早く帰りたいので高速道路に乗せます。
危険知らずやな、と恐れおののきながら読みますが、夜の高速道路をバイクで疾走するシーンに爽快感を感じるのはトーコだけなのでしょうか。
「闘鶏師」という作品は読んでいてだんだん辛くなっていきます。
「闘鶏師」とはタイでいうところの闘牛レースのようなもののニワトリ版です。主人公ラッダの父はその闘鶏師です。
父は腕の良い闘鶏師でしたが、街1番の有力者が雇った闘鶏師との戦いにことごとく破れます。そのために母や娘である主人公はいろいろと苦しい想いがあります。
特に年頃のラッダにとっては、有力者の息子と同じ学校に通っています。しかも、かなり狭い街での話です。闘鶏レースが終わるたびに噂になり、大変です。
父親が負けるたびに、母と娘は家計だけでなく、家族間の関係にも影響を与えていました。
なんというか、刻一刻と家の中は冷え切っているのを年ごろの娘の視点で読み手は覗き込むことができます。トーコはこんな家嫌ですけど。
負け続け家がどんどん貧しくなるのに耐えかねた母親が娘を連れて出ていくことにしました。
しかし、その日に父親が倒れ、入院することになりました。父はついにどん底にまでたどり着きました。
そんなときに家に1人の訪問者が現れます。それは、父親の闘鶏レースのライバルとして村の有力者に雇われていたラモンという少年でした。
ラモンは言葉の通じないタイで闘鶏をさせられていたのですが、帰りたいと訴えます。ラッダも家のぐちゃぐちゃな状況を見続けるのに疲れ果てていました。
なんと、物語の最後には2人でマツダに乗って逃げます。それにしても、タイって車やバイクを指す時に日本のメーカーの登場率が半端なく高いのですが…。
他にも、哀愁の漂う短編が多くそろっています。作品を通して、人生の断片をリアルに見続けることができます。
でも、不思議と辛くないんですよね。うまく救いのあるような構成になっているんだと思います。
■最後に
現在行方の分からない作者の彗星のようなデビュー作です。
哀愁の漂う人生の断片を見続けることができます。すごく味のある作品たちがそろっています。