こんばんわ、トーコです。
今日は、江國香織の『がらくた』です。
■あらすじ
翻訳家の柊子(しゅうこ)は、夫と2人で暮らしている。そんな時に、15歳の美海と知り合う。
夫は女性を誘惑するなかなかの魅力の持ち主だが、柊子は彼を所有するため受け入れる…。
■作品を読んで
著作権等が伴うので、文庫本の後ろに記載のあらすじをなんとなくかいつまんだのですが、まあこの作品のなかなかなエキセントリックさが伝わりません。
あの、この作品きっとあらすじを読んでうげーと思う人もいると思います。なかなか理解しがたいものがあるから。
なんか読めるのはきっと耐性がついてきたんだな、ということにします。トーコは恋愛初心者なのに、ある意味すごい。
では、ここでこれまで紹介した江國香織作品を。
1.『金平糖の降るところ』、64.『なかなか暮れない夏の夕暮れ』、149.『神様のボート』、195.『旅ドロップ』、208.『彼女たちの場合は』、254.『去年の雪』
今回を入れて7作ですか…。結構紹介しましたね。とはいえ、江國香織作品の方がまだあるんですが…。
それでは、作品を見ていきましょう。
物語は、翻訳家の柊子と母親が旅先でミミ(美海)と出会うことから始まります。というか、いきなり彼女の描写から始まります。
ミミの描写はこうです。これが1番最初です。
彼女は異国的な顔立ちをしており、手足が細くて長いので、西洋人、もしくはその血の混ざった少女に、見えなくもない。でも私には、彼女が日本人であることが一目でわかった。小さなビキニをつけた身体のおうとつの少なさや色の白さ、頭にのせたサングラスの、バービー人形じみた洒落加減、砂浜に、毎朝無造作に抱えてくる大きな鞄。
この後も彼女の鞄の描写が続きます。最後は、この子は海外のビーチになれていることが記されています。
トーコはこのミミの描写が結構すごいな、と思って読んでしまいます。一体どんな外見の少女なのかが見えてきますし、何よりこの描写の絶妙さにやられます。
漢字を使うところで使わなかったり、単語の並び方に結構気を付けていたり。なるほどなあ、と思います。
冒頭の文章が、柊子が初めてミミを見たときの印象でした。柊子はミミが気になって仕方がありませんでした。
柊子は母親の桐子(きりこ)と一緒に旅をしていました。この人物も癖が強いです。
母親の桐子は、家の中ですら働いたことがない人で、74年間「本ばかり読んできた」そう。家の中でも働いたことがないというのは、家事を一切しないし、子供の学校行事や冠婚葬祭は欠席するものという認識の人です。
本人曰く「私の人生はパーフェクトよ」。おお、逆にスゲー。
そんな2人を知っている柊子の夫は、この2人の旅事情をこう表現します。
お金はあるけど一人で旅のできない桐子さんと、どんな旅でもできるけれどお金のない柊子との二人旅は理にかなっているね
そんな柊子の夫も一癖も二癖もある人ですが。
この人も複数のガールフレンドがいて、柊子のいない間彼女たちは夫と甘やかな時間を過ごすでしょう。夫についてこう描写します。
私が旅にでようとでまいと、夫は彼女たちと会いたいときに会えるし、したいことができる。天から授かった魅力を…本人は意識しようとしまいとー振りまかずにはいられないのだ。仕方のないことではないか。女の子たちは現にたくさんいるのだし、それはこの世にゴキブリがいたり税金があったり、子供がいたり奇跡が起きたりするのとおなじことだ。避けられない。
なかなかとんでもない夫でございます。ゴキブリや税金って言葉、江國香織作品では滅多に登場しませんが、それくらい日常である意味普通なことという意味なのでしょう。
でも、1番その夫に憑りつかれているのは柊子自身な気がします。
とはいえ、夫の癖が全く受け入れられないころは普通にいさかいとかもありましたが。
母娘2人旅を終え、ミミと別れて第1章は終わります。
というか、第1章の最後が新学期の子どものように、という言葉に現れているように、夫にまた会えるのが楽しみだという柊子の想いが透けて見えますが。
第2章に相当するところは、バカンスから戻り、東京での暮らしが始まるところからスタートします。
そして、これが若干混乱するかもしれないが、冒頭はなんと美海の視点から始まります。
バカンスが終わり、美海は写真を桐子の元へ送ると、お礼に広辞苑が返ってきて(美海の母親はびっくり)、そのお礼にさらに手紙を書きます。
手紙を書いてから、差出人の住所を頼りに仲の良い亘と一緒に桐子を訪ね、それから来てもいいかと聞いてどちらでもと桐子は答えるのでした。
冒頭は2回目の桐子の家へ行く道すがらです。美海は桐子のことが気に入っています。一人でどんどんしゃべるところ、美海があまり口を挟まなくても気にしないこと。
というか、美海自身も週に1度は早退しているから学校が嫌いなのかと思いきや、真面目で面白い雰囲気から学校を気に入っていたり。
ま、15歳ってそんなもんでしょう。
それからほどなくして、美海は桐子の隣の部屋を仕事場にしている柊子と再会します。2人が仲良く話しているのを見て、美海は自分の学校のこととかを聞いてこない2人の存在がかえって好ましく感じます。
まあ、普通は聞いてくるでしょうからね。でも、トーコも辞令的に聞いてさっさと自分の話を話す祖母がありがたいです。冷静に考えるとどうでもいいですからね。
第2章は亘という31歳の男の人と触れたときの感触を描いて。第3章は、柊子が美海を見て、美海が持っていないものによるまぶしさに気がついて。
第4章は柊子の夫原武男と美海が2人で会うところから始まります。待ち合わせ場所からタクシーで移動したレストランに、柊子が待っていました。サプライズなのかもしれませんが、美海はひどく動揺します。感情が表現できず、戸惑います。
美海の母親は離婚しており、再婚に向けて付き合っている男性がいます。結構恋愛の多い母親のようです。まあ、バカンスに連れて行った父親もですが。
その母親が大学に入学したらお試しでその男性と暮らすことを美海に告げます。それから、桐子と柊子が旅をしている間に原と再会し、性交をします。
美海は「次に柊子さんに会うのが楽しみだ」といいます。なんか、すげえ。
この小説は、恋愛小説かと言えば、そうではないと思います。恋愛らしい要素はないので。ちなみにこの作品で島清恋愛文学賞という割と選考委員がしっかりした恋愛文学賞を受賞しています。
受賞した理由がわかる気がします。この作品は、恋愛小説らしくはないからです。
なんというか、人の想いが多面的に流れていくのだと思います。特にこの作品は意外と登場人物と伏線が多く、何とも言えない面白さがあります。静かにですよ。
おそらく、柊子の世界と美海の世界があるからなんだと思います。あとがきには、美海は大人の脅威にはなりえないと書かれていて、まさにその通りです。
ですが、大人の世界に生きるものからはうらやましいものを美海は持っています。子供と大人の中間で、失ったものと手に入れたものを両方持っている、今しかないという生命力にあふれていて…。
それを柊子は見抜いたのでしょうね。
トーコはこの作品好きですよ。実は大人を描いているのではなく、少女の方がメインだったんじゃないかという感じが。
意外と人間の本質を見ているこの作品が。
■最後に
この作品は普通の恋愛小説をイメージしていたら、がっかりする人もいると思います。
大人の世界と少女の世界をうまく描き分けられていて、人間の本質を意外とうまく見ている作品です。