こんばんわ、トーコです。
今日は、ナタリア・ギンズブルグの『ある家族の会話』です。
■あらすじ
舞台はイタリア。ファシズムの流れが押し寄せてきそうなころ、知的でちょっと心優しい家族の会話を末娘の視点から見ています。
著者の自伝的要素の多い作品です。
■作品を読んで
この作品は、須賀敦子さんが訳したものです。彼女自身がイタリア語で読んでほれ込み、訳することにしたのだとか。
自分たちの家族だけに通じる、「それを聞けば、たとえ真っ暗な洞窟の中であろうと、何百万人の人込みの中であろうと、ただちに相手がだれであるかわかる」ことばの数々をたどることによって、その家族がイタリア現代史のあらあらしい一時期を乗りこえて生きた軌跡を描くという、独創的で魅力に溢れた作品を書き上げた作者に対して、私は羨望と感嘆のいりまじった一種の焦燥感をさえおぼえたのであった。
この感性が逆にすごいなと思います。ナタリア・ギンズブルグに共鳴できる人っておそらく相当限られている気がします。
イタリア語を読めないといけないし、似たような時代を生きた感覚が分からないとおそらく訳せない。なんだが、無事に発掘されてよかったなあという気がします。
同時に、ナタリア・ギンズブルグ自身もこの作品が転機となっています。男のように書かねばならないという思い込みから解放され、話ことばで書いた作品でもあるからです。
ずっと書き方に関して模索していたようです。人生の円熟期になり、やっと素直に向き合えそうだと思ったのでしょうか。
そんないきさつで書かれた作品です。なお、これは訳者のあとがきからの引用です。
先ほど、似たような時代を生きた感覚がないとこの作品が琴線に触れることはないかと思っています。なぜかって、須賀敦子自身にもおそらくそれがあるから。
その片鱗は、須賀敦子のエッセイでも見られます。また別の話にしましょう。
前置きが長くなりました。それでは、作品に行きましょう。
この作品は、ある家族の様子を末娘のナタリアの視点から描いています。ナタリアは著者自身のこと。
つまり、この作品は著者自身の家族を描いています。しかも、かなり現実を描いています。フィクションではないです。自伝的要素満載です。
登場人物は、
- 行儀作法に厳しく、社会主義と英国、ゾラ、山を愛した短気な父レーヴィ教授
- おしゃべりが大好きで、社会主義とヴェルレーヌの詩と音楽が好きな母リディア
- 母親と姉妹のように仲のいい美しい金髪の長女パオラ
- 父親のお気に入りで、玄人はだしの登山家で技術屋の長男ジーノ
- プルーストについて語る文学者肌の次男マリオ
- サッカーに明け暮れる日々を送りながらも、優秀な成績で大学に合格する三男アルベルト
- 豪奢な家具に囲まれたフィレンツェの家に住み、キリスト教徒を猫と同じくらい嫌う祖母
とまあ、ずいぶん個性的な方が集まっている家族です。ナタリア・ギンズブルグは5人兄弟の末子のようですね。
時代は、ファシズムが押し寄せる寸前のころ。レーヴィ教授家の暮らし向きはかなり裕福な部類に入るような感じですが、お金があったり、なかったりと忙しいお宅です。
この一家の子どもたちは学校に行かず、家庭教師とその代わりの母リディアの手で教育を受けました。
というか、冒頭の数ページはなんと父親の口癖からスタートします。なかなかないですね、そんな小説。
とはいえ、当のナタリア・ギンズブルグから言わせれば、いつ癇癪を起すか分からない父親だったので、びくびくしながら暮らしていたのだとか。
そんな家庭環境の中で、5人兄弟たちは成長し、大きくなりました。男の子たちのうち、長男のジーノだけが友人を連れて遊びに来ます。
その中に、アドリアーノ・オリヴェッティという若者がいました。彼の実家はタイプライター工場を持っている実業家の家の人でした。
彼はレーヴィ家に足繫く通います。というのも、長女パオラに恋をしてしまったから。父親は激怒しますが、渋々了承します。
流石に、成長した子どもたちも結婚相手に関しては親の意にそわない人を連れてきたとしても、強行するということを学んだようですし、5人も同じことをして学ばない父親もすごい…。
このパオラとオリヴェッティの結婚を契機に、ある家族はただただ家族の一コマの会話の話から、一変します。本当に歴史の渦に巻き込まれます。
男兄弟のうち、長男ジーノと次男マリオはオリヴェッティ社に就職します。この会社はタイプライターを製造する一方で、出版業も営んでいます。
そのため、反ファシスト関連の印刷物が官憲に発見されたことをきっかけに、ジーノはスイスに亡命します。そのため、父親、ジーノの親友のレオーネ・ギンズブルグ、弟のアルベルトが政治犯として逮捕されます。
けっこう命からがらの戦いですね…。
ナタリアは、やがてレオーネ・ギンズブルグと結婚します。トリノ大学の教授だったレオーネ・ギンズブルグは流刑に遭い、ナタリアも流刑地に帯同します。
1944年にレオーネ・ギンズブルグは獄死します。その時点で3人の子どもたちを抱えていましたが、その間に地味に続けていた作家活動により、エイナウディ社に就職します。
1950年には、再婚します。レオーネ・ギンズブルグ一家はドイツの隠れ家で発見され、レオーネ・ギンズブルグはそのまま牢屋に連れて行かれます。
その後はナタリアは子どもたちを連れ、実家に戻ります。が、再婚を機にローマに移ります。
最後も父と母との会話で終わります。時間は経ちましたが、父と母の会話の感じは全く変わっておりません。
同時に、ナタリアの周囲には文学的素養を持った人々が偶然にも集まっていました。彼らによって、またナタリアの文学の扉が開いたのも事実ですが。
ある家族の物語にしては、なかなかに濃い話です。
■最後に
著者の自伝的要素たっぷりの、ある家族の会話です。家族だけでしか通じない言葉があるシーンを読んでいると、家族が恋しくなりそうです。
自伝のはずなのに、うまくストーリーがちりばめられていて、面白いです。