こんばんわ、トーコです。
今日は、船橋洋一の『シンクタンクとは何か』です。
■あらすじ
日本には独立系のシンクタンクがほぼない。ひとえに、政策コミュニティのなさもある。
ですが、今後政策企業力を上げるにはどうすれないいのか。実際に独立系シンクタンクを設立した著者とともに、シンクタンクの課題を見ていきます。
■作品を読んで
読んでいてほとんどの方が突っ込むと思います。そもそも、シンクタンクってなんじゃ?と。著者はこう定義しています。
シンクタンクとは、「政策立案者と一般市民が公共政策についてより良い意思決定を行うために、国内・国際問題の政策志向の調査・研究および助言を行うための機関であり、永続的な組織の形をとるもの」である。
政策って、政治家や官僚が決めているわけではないんだな、と思うことでしょう。ちょっとびっくりです。政策決定に影響を与えることができる外野がいるのですから。
あらすじでも触れた通り、日本ではシンクタンクが少ないので、アメリカを中心に取り上げていきます。
とはいえ、シンクタンク自体は世界中にあります。ただし、アメリカが1800ほど、インド、中国は500、イギリスが320で、日本は130のようです。アメリカの数が段違いすぎてびっくらこきます。
同時に、シンクタンクが時代を作ってきたと言っても過言ではないです。シンクタンクは時代の要請に応えるアイデアを探求し、政策を起案してきました。そのうち、いくつかは時の政権によって採用され、社会実験に供されてもいます。
ここまで来ると、なんか壮大です。
というか、シンクタンクって英語だと、think tankと表記します。つまり、考えを貯めているということでしょうか。なんか、英語表記を見ることで、逆に納得できそうです。
第2章では、アメリカの代表的なシンクタンクを見ていきます。
ここで、ちょっと驚くのですが、マーシャルプランはシンクタンクから匿名で提出された日本の復興案ですし、キッシンジャーも国務長官になる前はアカデミックな世界から評議会での政策研究を経て、政策立案者として転身します。
アメリカではそういう例が多々あるようです。
また、アメリカのTPP参画もオバマ政権に進言したのも、シンクタンクのようです。
しかし、トランプ大統領になると変わります。歴代の政権にはシンクタンク研究員で構成されたのですが、トランプ政権ではシンクタンク出身者はほとんどいなかったとか。
一因としては、欧米のシンクタンクもグローバル化により、より一層世界への影響力を与えるようになりました。その一方で、地域や地方の経済的、社会的格差はおざなりになりつつありました。
ポピュリズムが吹き荒れる中で、シンクタンクの研究がよりどころとする事実と分析そのものへの懐疑を生まれました。
特に、政府系シンクタンクは分析の客観性と選択に対してとくに激しい批判が浴びせられる傾向があります。ちなみに、政府系、独立系、営利系があります。
はー、なるほどな、と思いました。道理で、トランプ政権になってからヘンテコな政策が跋扈しているのか…。
第4章では進化と多様化、第5章は中国とロシアについてです。
中国のシンクタンク数は実はかなり多いですが、とはいえ、習近平政権批判をした中国有数の独立系シンクタンクが閉鎖されています。
中国のシンクタンクは政府や党機関に所属していることが多いので、かなり独立性に欠けるようです。シンクタンクの役割の一つに、「自由で開かれた国際秩序」を損なう行為・行動を監視することのようです。
それって、なかなか難しそう…。だって、政府の外圧でシンクタンクが閉鎖されているのに、一体どうやるんだろう…。トーコの素朴な疑問。
第6章では、政策起業家たちの素顔というテーマです。ここで、もう1度政策起業力について再度おさらいします。
政策起業力の本質は、社会の新しい需要に応える革新的なアイデアを生み出し、そのアイデアを公共政策に練り上げるべく、事実とデータに基づいて検証、分析することである。時に政府当局者を交え当事者や専門家と議論を深め、それを踏まえて政策を提言し、社会の多様な利害関心層を巻き込みながら、政策を実現するため、社会にインパクトを与えられるよう、組織的かつ持続的に活動することが必要である。
そのために、シンクタンクは、公共政策にかかわるアイデア等を市民、世界に訴えていきます。思いついたアイデアの考えを深め、論理にし、政策の言葉に直し、政治の文法に組み替え、メディアに働きかけ、社会に訴え、世界に発信するというのが、政策起業力です。
現代のシンクタンクの役割はこれなのかもしれないですね。ここからは、主要な人物を紹介していきます。
最終章では、日本の課題です。日本は「シンクタンク小国」と言われています。なぜか。
それは、日本の市民社会が公共政策を自らの手で検証、提案し、政府に代案を突きつけていく意思と能力を欠いていること、公共政策に関する日本のアイデアを世界と共有し、日本の経験を世界の経験とする意思と能力が乏しいことです。
「霞が関シンクタンク」と呼ばれていた時期もありましたが、独立系シンクタンクとはまた違います。
特に、「霞が関」の機能と空洞化は深刻です。1~2年で人事異動とロビーイングで終わってしまい、腰を据えて政策を考えることができなくなっています。
しかも、近年の志願者の減りぶりには目も当てられません。原因は長時間労働とかそっちかもしれませんが、グローバル化時代に要求されているものが異なってきています。
その点に関して「霞が関」が解答を用意できなくなりつつあります。志願者もそこを見ている可能性はありますね…。
市民の意見が政策となり、政治に届くような言語に変換させるためには、独立系シンクタンクの存在は欠かせないです。
そのためには、自らの調査・研究の信頼性を維持していくことが求められます。
冷静に考えれば当たり前かもしれませんが、そうでなければ市民の側の信頼することは出来ませんけどね。
ちなみに、著者は原発事故の事故調査をまとめています。そのために自分でシンクタンクをつくったそうです。このシンクタンクは今でも活動しています。
政策ってお上が考えるもの、という固定観念を取っ払った方がいいのかもしれないですね、きっと。
■最後に
シンクタンクという聞き慣れない組織について解説されています。本当は身近であってほしい組織でもあります。
政策が私たちの生活から遠くならないようにするための活動をしているようです。私たちもその活動を見守っていく必要があります。