こんばんわ、トーコです。
今日は、辻仁成の『十年後の恋』です。
■あらすじ
パリに住む日本人のマリエ・サワダは2人の娘を抱えているシングルマザー。映画関係の仕事に従事し、忙しい時は母親の力を借りながら2人の娘を育てています。
そんなある日、投資グループを主宰しているアンリ・フィリップと出会う。
■作品を読んで
実はこの作品は2人の恋模様だけでなく、まさかの新型コロナウイルスが伏線に潜んでいます。
まあ、ついに文学の世界にもコロナウイルスがやってきたか、と思い読み進めましたが、個人的にはそこまで伏線にするほどのものではなのかもしれないなあ、と思いました。
2人が出会った時は2019年。つまり新型コロナウイルスが流行る前の話。
マリエは前夫との離婚後2人の娘を育てながら、映画会社に勤務し、映画製作のスタッフとして働いていました。読者の予想通り、離婚してからの10年間恋をする余裕は一切なく、もう男はこりごりという思いとともに生きていました。
そんなある日(2019年)に、アンリ・フィリップと出会います。彼は、それまで出会ってきた男の中でもとても礼儀正しい振舞いをする紳士でもありました。
それから2人は食事を共にするようになります。そりゃそうですが、会計はいつもアンリが持ち、選択するレストランもなかなかにセンスのある場所でした。
マリエはすぐに恋なのかわからないけど、仕事と子育てに明け暮れていただけの日々でした。
加えて、前の夫は精神科の医者ですが、いわゆるモラハラ気味な人でした。そんな前夫から逃れるため、マリエは離婚を選択しました。
そんな1人で歯を食いしばりながら生きている日常では、アンリとのさわやかなひとときは心に安寧をもたらすのでした。
マリエには娘がいるので、若い時のように勢いで恋愛するわけにもいきません。娘たちを抱えた生活もあっての恋愛です。
それでも、スタートはアンリに「気になる人がいる」と言われ、少しずつですがマリエもアンリのことが気になりだします。
マリエにとっても10年ぶりの恋でもあるので、読み進めるとマリエの心もかなり浮足立っていくのが読み手にも伝わってきます。
アンリもマリエの存在を意識してか、少しずつアンリの投資グループの会合に出席し、友人たちを紹介するようになります。
最初のころ、マリエはアンリが一体何を考えているのか全くつかめずにいます。なので、こう思いながらもがきます。
私は暫くのあいだアンリとのとくに進展のない関係に気を揉む日々の中にいた。気を揉むというのはちょっと変な言い方だが、どういうことを自分が期待しているのか分からない苛立ちを抱えながら、彼に呼び出されると出かけ、食事をして、語り合い、別段何も起こらないことに気を揉んで、時間が来ると店から送り出されていた。それはまさに、距離を縮めるための努力であり、距離を埋めるために使ったのは時間であった。
一言でいえば、一体なんの感情をアンリに持っているのかさえ分からない日々の中で、あとから振り返ればいつの間にやら距離が埋まっていたというまさに外堀がいつの間にやら埋まっていた状況のことでした。
きっかけは、2人でトゥルーヴィルに旅行をしたときのこと。そこで、マリエは今自分がアンリに対して恋をしていると気が付きます。
気が付くまでには時間がかかり、そこまでたどり着くのに60ページほどかかっています。そこにたどり着くまではちゃんと丁寧に描いています。この人確か男性だよね、というくらい丁寧です。
やがて、2人はお互いを知り、少しずつですが、もどかしくも静かに距離を埋めていきます。
お互いを知るというのは、生業(どうやって生活しているのか)、家族(前の家族との家族構成)等々のこと。若い時にはなかった様々な事情を踏まえながらの恋愛でもあります。
実はそこらの事情もかなり丁寧に描いています。特にマリエは2人の娘のシングルマザーでもあります。仕事で土日出社など、1人で育児を抱えきれないときは母親のトモコの協力も必要でした。なので、この恋愛が成就するには家族の了承は絶対条件でもありました。
なんというか、お国柄が出ているようにも思います。そういう恋愛が割りとよくあるのでしょう。
日本の場合だと、マリエとアンリのパターンはあるのかもしれませんが、そこまで日本人が成熟していない気がします。下世話な話、不倫ものの方に向かう気がする。
そして何よりですが、子どもたちの方が意外とうまくとらえているようにも思います。とはいえ、娘は中学生と小学生高学年のためか、大人の事情にそれなりに理解を示している気がします。
とはいえ、ママが突然知らないおじさんと暮らすので、いきなり祖母の家に行けと言われても戸惑いますがね。流石にまだ母親を必要としている少女たちには酷な気がしますが。しかし、娘2人は話し合った結果、アンリにみんなで会ってからトモコの家で過ごすことにしました。
それが10代の前半の子たちができるのですから、すごく自立した文化だな、と思います。ある意味感心します。
かなり順風満帆にアンリとの恋が進み、やがて結婚式を挙げることになりました。ここから一気に物語が動きます。
そんな順風満帆の中、アンリの投資グループの仲間の1人ラファエルから連絡が来ます。それは、ラファエルはアンリに貸したかなり高額なお金が戻ってきていないこと、さらにアンリの前妻の弁護士のステファニーも同じく貸した金がかえって来ていないことを知らされます。
さらに、アンリが書き進めている脚本が映画化し、その企画書には勝手にマリエの会社の名前が使われていたことも知らされます。
それだけでも衝撃的なのに、ステファニーはアンリの人間性を批判し、現在の住居はステファニーの持ち物の小さな物件に住まわせているということも告げます。アンリの現在の住居はマリエも知っています。
幸せの絶頂からある種の奈落の底に叩き落されます。いろいろと考えを落ち着かせ、アンリに問いただします。
アンリからは満足のいく答えは得られませんでした。しかし、その瞬間にマリエは呼吸困難で倒れてしまいます。時は2020年4月です。
ええ、そうです。まさかの新型コロナウイルスに罹患するという設定なのです。驚きます。そう来たか。
前夫が勤めている病院に救急車で担ぎ込まれ、そのまま人工呼吸器をつけて集中治療室に入ります。マリエは生死の境をさまよいます。
退院するまでにかかった時間は1か月半。世界の半分がロックダウンしていたころ、世の中の動きなんぞ知る由もなく、病院のベットでのたうち回っていたようです。
病院で意識が朦朧とする中、誰かが必死で呼びかけていました。それは看護師のマノンという女性と病床に立ち入ることを特別に許可されたアンリでした。
とはいえ、マリエはアンリに対しては暫くいい感情を持てずにいました。母トモコもそれを知ってか、マリエの退院後、マリエの入院中にアンリと話していたことについては深く語りませんでした。それから、マリエは映画会社を退職し、家族とともに静かにリハビリすることにします。
当初の結婚の日には結局結婚式を挙げることなく過ぎ去りました。そうこうしているうちにアンリの書いた小説が出版され、文学賞にノミネートされました。
アンリは完成した小説をマリエに会い、渡します。そこでアンリは再度結婚してほしいと言います。
しかし、マリエは拒みます。何もかも順風満帆な世界に生きるアンリとは生きる世界が違い過ぎる。いい夢を見たと。恋の魔法がすっかり解けてしまいました。
ところが、アンリは5億ユーロを超える詐欺事件を起こし、逮捕されます。そのため、受賞を逃し(実際は選考委員は誰も推していなかった)、実刑判決が下ってからは書店から本が消えました。
この事件をきっかけに、マリエはやっと決心します。アンリと結婚することを。長く語りすぎました。
この作品は、パリに現役で在住している著者だから書けてしまう作品な気がします。フランスの恋愛事情や婚姻制度、街の情景は住んだことのある人ならではの視点のように思います。
そして、この人確か男性だよね…、とツッコミたくなるくらいマリエの心模様を見事に描いています。この人現地でパリの女の人と恋愛したことがあるんじゃないの、と思ったりもしました。
それにしても、コロナウイルスが世界を見事に分断しているのは否定しませんが、マリエの場合は罹患してから人生観が変わっただけのような気がしますが…。
■最後に
タイトルの通り、本当に10年後の恋を描いています。ただ、若い時のように勢いだけではうまくはいきません。
そこには今の家族、相手の家族などなど、様々な人達とのかかわりも一緒に合わさります。恋愛事情は一筋縄ではいかないようです。