こんばんわ、トーコです。
今日は、イリナ・グリゴレの『優しい地獄』です。
■あらすじ
ルーマニア出身の著者が社会主義の世の中で生まれ育ち、やがて日本文学に魅入られ、日本に来日し、人類学者として弘前で暮らしています。
子どもの頃の出来事や現在の出来事、映画や詩、アートについて書いた、自伝的要素の多いエッセイです。
■作品を読んで
この作品を読んでいた時が精神的に不安定だったせいか、妙に刺さりました。
なんというか、著者の暗部ではないのでしょうが、生まれ育ったルーマニアのお国の状況やそれに引きずられた街で暮らしていた父と母、田舎で暮らす祖父母、映画関係の職に就こうとした過去、今を生きることがいろいろと見えてきます。
この人はこんな人となりなんだなあ、と感じることができます。会ってみたいなあ、この人。
著者は、ルーマニアの小さな村で生まれ、祖父母と共に暮らしていました。祖父母は農家として、畑を耕しています。
この牧歌的な風景が、著者なりに描かれています。けど、牧歌的なもののはずが、著者が描くとどこか憂いがあるような気がします。
たとえば、こんな描写。
家の桜は毎年、綺麗な桜を咲かせ、おいしい実をたくさんつけ、おしまいに私たちの家を暖めてくれて、本当に美しい生き物だった。私の体が透明であれば、今でも胃袋から肩のあたりまであの一本の桜の木が見えるだろう。自分の体に生きている。あの時は私が桜の木の内側だったが、今は逆になって、私が外側で桜の木が私の内側にある。
何だろう、なんでこんなに過去形を使っているんだろう、という謎の多い描写ですが。
7歳の時に小学校に通うため、父親と母親の元で暮らすようになります。7歳までは一緒に住んでいるのではなく、父親と母親は定期的に街と村を往復している状態でした。
この年はルーマニアの国自体も大きな転換期を迎えます。独裁者が殺害されたからですね。この時の気持ちをこう表現しています。
それはカフカの小説に出てきそうな不条理な気分だった。社会主義の澱がよどんでいる、魂を失った人々の町に移ったのだ。
…(中略)
あの冷たい朝の悲しみは、死ぬまで忘れられない。それは死のように感じられたし、別れという言葉の真の意味をかみしめたのもその時だった。
7歳の時に感じたことが相当鮮明に記憶されているのでしょうね。というか、ここからしばらく何年もの間、町になじむのに時間がかかり、越えられない壁や苦しみがあったことが描写されています。
そんな時に助けになったのは、読書でした。不思議ですね、どこの国でも読書が救いになる人がいるものですね。
高校生の時にルーマニア語で訳された川端康成の『雪国』を読み、汽車の描写が7歳の時に村から町へ向かう列車と重なり、ひどく懐かしく感じます。
そこが著者に日本語を勉強するきっかけにつながります。さらに2年後俳句の本を読み、さらに青森に行く機会を得ることができました。
偶然に導かれていますね。
暗い団地に住んでいた時は、家族全員が苦しかったと回想しています。自然から閉ざされた空間で、生きる苦しさが様々な表現をとりながら悲劇に変わったと描写されています。
自然から閉ざされた空間なら、トーコの住む東京もそうかもしれません。けど、著者が生まれ育ったルーマニアはその上をいくものがあります。
著者曰く、社会主義とは宗教とアートと尊厳を社会から抜き取ったとき、人間の身体がどうやって生きていくのか、という実験だったとしか思えないと言います。
幼いころにバレリーナになろうとするも、社会の階級で押しつぶされ、小学校に突然白装束の男たちがやってきて、裸にさせられるという光景を目の当たりにして…。いろいろと思い知らされる出来事がたくさんありました。
大学は映画関係の学科に進学しようとするも失敗し、やがて日本文化を学ぶために来日、その後結婚し、2人の娘さんと共に弘前に住んでいます。
映画関係の学科に進学するくらい映画が好きな方で、エッセイの中にも映画が引用されています。
タルコフスキーなどが引用されています。タルコフスキーが見たくなりますが、前に見た時結構わかりにくかったなあ。
この作品を読んで、社会主義の世界で表現するのが結構大変なんだなあ、と思いました。
また、娘さんたちの何気ない言葉から、いろいろと話を及ばせていることも結構すごいなあ、と思います。
ちなみに、このタイトルの「優しい地獄」は5歳の娘さんがダンテの『新曲』を聞いて、優しい地獄もある、と資本主義の皮肉を言ったことに引っかかったことに起因しています。
あと、飼っていた金魚の話。「はじめて死んだ」という言葉にはっとします。これも5歳の娘さんが言った言葉。
確かに金魚自身は何回も死にません、けどこれから何回も死を目の当たりにします。
仙人のような娘さんですが、確実に著者の感覚は受け継がれています。ただ、ルーマニア語ではなく日本語で表現している状態。
日本語だとなかなかもののあわれが感じられるような気がします。これも一種の皮肉に近いですが。
■最後に
社会主義のルーマニアで幼少期を送った著者が、自伝的要素たっぷりにエッセイに綴っています。
時に映画や来日のきっかけを作った日本文学。はてまた母国にいる祖父母と両親、日本で一緒に住む娘たちなど、家族についても描いています。