こんばんわ、トーコです。
今日は、小川糸の「洋食小川」です。
■あらすじ
年始にはお屠蘇を、春には春しゃぶを、ときにはタルトやジャムを作ったり。
このエッセイが綴られているときには、「ツバキ文具店」が刊行されてたり。
日々を丁寧につづったエッセイです。
■作品を読んで
このエッセイの合間に「ツバキ文具店」の話が出てきます。
以前紹介していますので、よかったらどうぞ。74.「ツバキ文具店」
それにしても、出てくる食べものが結構興味深い。知らないものも多かったから、結構ためになりましたよ、ええ。
ちなみに、著者の飼っている犬の名前はゆりね。ゆりねは百合根と書く野菜でもあります。ということを初めて知りました。
おせち料理で使われるようですが、個人的には見た目はにんにくに似てる気がします。
どうやら天ぷらやあんかけ、ニョッキにして食べるようです。
百合根にいつかお目にかかりたい。普通のスーパーに売っているのかな、そんなもの。
1番印象に残っているのは、原発のことを書いた部分かもしれない。
その日の食事をゆるーく描いているものもあれば、強く主張する部分があったりとすごくメリハリのあるエッセイなのですが、この部分はなんかすごいなと思います。
まず、このエッセイの年は3.11の震災から5年の月日が流れています。
この日著者が税金を納めるため、銀行に行く。
著者は納税者全員がこの作業をすればいいのにと思っているようですが、その通りかもしれません。
トーコもそう思ってます。税金を払う額を見て一体何に使ってんのよ、これ、って突っ込んでます。再分配されてねーわ、と。
一部の政治家は税金を自分の金みたいな顔をして使うといいますが、その通り。うんうん。
原発事故のことも年月経ってから知った方が多いと思いますが、トーコも当時原発から100キロくらいの土地で生きていたので、地味に切実な問題でもありました。
外国のメディアの方が情報を正確に出しているような気がする、と書いていますが、それもトーコが原発の教訓として得たこと。
個人的には、この経験があったから、状況を判断するのに正確な情報をつかむ重要さを学ぶことができた気がします。
あの時、家族で政府は本当のことを言ってない、と本気で憤慨していたのだから。
果てまたオリンピックにも触れてます。エンブレムだ聖火台だと問題が矢継ぎ早に勃発して、呪われてるようにしか思えない、という記述に震えます。
読んだ時期が2020年4月現在、オリンピックは1年延期が決定しており、その1年後にきちんとできるかは誰もが分からない状況下で読んでみてくださいな。
預言者ですか、とツッコミたくなります。
ホント、今思えばオリンピックについてはへんてこな話が多かったので、呪われているようにしか思えないという気持ちが分からなくもないです。
また、著者が養老孟司さんのインタビュー記事で読んだ言葉を引用しています。
「一日、十五分でよいから人間がつくらなかったものを見たほうがいい」
著者も周囲を見回したときに人間がつくらなかったものがなかったそうですが、トーコもそう。
買ってきた花も、今育ててる植物はギリギリ人間がつくらなかったものにしてほしい。
そうじゃないとない、人間がつくったものばかりだ。
毎日を平穏に過ごせるありがたさを、ほんとにそう思う。平穏じゃないからね、今。
6月から9月はドイツへ行くのが習わしのようで、著者と夫のペンギンと犬のゆりねで出かけてます。
途中ラトビアやイタリアを旅しています。なんか、いいなそんな暮らし。してみたいわ。
リモートワークができるようになったんだ、会社よ、許可をくれ。
あとポン酢を自作できることを知ったので、いつか作りたい。
それにしても、コロッケやおせち料理がおいしそう。おせち料理って作れるのね、やっていようかしらなんて思ってしまう。
おいしいものを食べて、普段通りに過ごす。
なんか、暮らしの基本としてはその通りだけど、できてたっけか、と振り返りたくなります。
■最後に
台所での日々を綴りつつ、「ツバキ文具店」の裏側も見れます。
また、ゆったりとした流れの中での鋭いエッセイも隠れています。
すごく、心地よい本です。
[…] 不吉だと予言していた方が確かいましたねえ。237.「洋食小川」著:小川糸。 […]