こんばんわ、トーコです。
今日は、フアン・ルルフォの『ペドロ・パラモ』です。
■あらすじ
母が死に、「おれ」は見たこともない父親ペドロ・パラモを探しに、コマラに行きます。そこは、音もないくらいの静かな町でした。
メキシコの現実を描き、ラテンアメリカ文学ブームの先駆けとなった古典的作品です。
■作品を読んで
図書館で雨の日フェアのなかに含まれており、ちょっと気になったので手に取りました。
初めて岩波文庫を紹介します、って400冊超えて言うことか…。岩波文庫ってなかなか名作ぞろいで売られていないので、結構敷居が高いのですよ。
著者のフアン・ルルフォ自身はかなり寡作で、小説は2冊のみ。当然ですが、発表した時期も短いです。さらに小説を発表後、映画やテレビの仕事を少ししています。
作品はほとんどないに等しいかもしれないですが、翻訳や研究が進んだことで、より多くの人が読めるようになり、やがて世界的な名声を得ます。
1980年にスペイン語圏の作家や批評家を対象にしたアンケートで、ラテンアメリカ文学のトップに、ガルシア・マルケスの『百年の孤独』と本書が並んだそうです。
つまり、いつの間にかこの作品はラテンアメリカ文学の金字塔になっていたのでした。なんか、運がいいわ。この人。
そんなこんなで、文学的な位置付けのおさらいでした。さて、作品に行きましょう。
男は、母との約束を果たすためににコマラに向かいます。約束というのは、見たこともない父親のペドロ・パラモに会いに行くということでした。
しかし、コマラに行ってみると母が言ってた風景とは異なり、非常に寂しい街であることを実感します。
さらに、案内人のアブンディオ曰くここ数年誰も街に人が来なかったので、誰であれ街に来れば歓迎を受けてもらえることを教えてもらいます。
途中で案内人が変わり、なんと「おれはペドロ・パラモの息子さ。」と言われます。さらに、案内人は彼は憎しみそのものさ、と言い放ちます。
男はここで、ペドロ・パラモがすでに亡くなっていることを知ります。ここまでで、冒頭10ページに満たない出来事です。
はい、ここからどーすんのさ、と読み手は思うことでしょう。というか、トーコはこう思いました。ここからの展開はなかなかです。
男はいろいろと事実を知ってもなお、コマラの街に残ることを選びます。そこで、案内人はエドゥビヘス・ディアダのもとへ行き、そこで泊まれと言います。
エドゥビヘスは亡くなった母と同じ年頃の女性です。エドゥビヘスは男に、ドロレス(男の母)のお告げでここにお前が来るのを知っていたと言います。
このエドゥビヘスは亡き母の知り合いというか、親友みたいな関係の人でもありました。
ここからなかなかに入り組んでいきます。なんと、ペドロ・パラモの幼いころが突然登場します。
さらに、いきなり時が戻ってエドゥビヘスと母ドロレスの関係性についても知ります。
これは訳者の言葉をまとめたのですが、この物語はすべて過去形で描かれています。というのも、男(フアン・プレシアド)もすでに亡くなっているのですから。
ペドロ・パラモには、結局フアン・プレアシドとアブンディオとミゲル・パラモがいました。
ミゲル・パラモは物語早々に亡くなっています。しかし、ペドロ・パラモはその頃には大地主となり、女の尻を追いかけているという噂を立てられるほどの極悪人でした。
だから、ミゲル・パラモは今頃地獄に行ったかもしれないね、とあおりを食って噂されるくらいです。
最後には、ペドロ・パラモが死ぬ寸前まで愛していた女性スサナ・サン・ファンとの物語が描かれています。
大地主として暴力と冷酷非道さでのし上がってきたペドロ・パラモがスサナとの交流は非常に対照的です。
なんというか、かなり平和で、ペドロ・パラモが一心に愛していたことがよくわかります。とても叙情的に描かれています。
しかし、スサナ・サン・ファンは亡くなります。ペドロ・パラモは葬送の時を見守ります。その時にこう決意します。
コマラの奴らに復讐してやると誓っていたのだ。
「おれが腕をこまねいて知らん顔すりゃあ、コマラは飢え死にだ」
実際、その通りにしたのである。
街の実力者にこれをやられると超怖いのですが、それをやりおりました。
同時に、ペドロ・パラモは一応息子のアブンディオにさされます。アブンディオの女房が亡くなり、埋葬したいので恵んでくれないかと頼んだところ、いつの間にかアブンディオはペドロ・パラモに向かって刺していたのです。
なんというめぐりあわせでしょう…。あっちもこっちも愛する人の死に目があるとは…。
ペドロ・パラモはそのあと家に帰り、スサナに呼び掛けると、自分の死が近づいていることを悟ります。最後の2ページはなかなかの情景描写です。
何かが滅びる時に、それに呼応するようにどんどん伝播していきます。スサナの死はペドロ・パラモとコマラの街の死をもたらしました。
最後の1文はこれで終わります。
腕につかまって歩こうとしたが、二、三歩進んだところで倒れた。心の中で何かを哀願するようだったが、ひと言もその口からは洩れてこなかった。乾いた音をたてて地面にぶつかると、石ころの山のように崩れていった。
なんだか、ペドロ・パラモの死を予感させるような感じで物語は閉じます。大まかに言えば、こんな感じで物語の環は閉じます。
断片がいろいろと飛び飛びになっているので、非常にわかりにくいのですが、登場人物たちが再び登場したりと様々な伏線が潜んでいます。
おそらく1度読んだだけではわからず、解説を読んで初めて気がつくこともあります。それはそれで味のある物語でもありますが。
■最後に
ラテンアメリカ文学の名作と言われている作品です。70の断片で構成されています。
様々な方向に飛びながらも、伏線がうまく隠れているので、トータルではとっちらかない印象の作品でもあります。
全ては過去の物語であり、環が見事に閉じているなかなか味のある作品です。